心も体も限界で、ひどく体調を崩していた。

ネットカフェを転々とする日々。毎日が綱渡りのようで、もうくたくたに疲れきってしまった。

最近、あまりにつらくて、母に「死を考えてしまうくらいしんどい」と電話で打ち明けた。

すると母は、「電車は賠償金がかかるからやめてね」とそっけなく言った。


母は東京に生まれ育ち、祖父母のもとで恵まれた環境にあった。祖父母は教育に理解があり、母は国立の小学校を受験し入学。その後、私立大学を卒業し、さらに別の分野を学ぶため、別の私立大学にも進学している。いずれの進学も奨学金などは利用せず、すべて祖父母の支援によるものである。母の世代の女性で大学に進学する割合は5%未満と言われており、当時としては非常に恵まれた教育環境だったといえる。

母は、私に対して「18歳になったら家を出て」と繰り返し言っていた。しかし母自身は、大学を2つ卒業するまで実家で暮らしており、学費も生活費も親が出し、自分の収入で生活を立てる経験は、結婚するまでなかったはずである。そうした背景を考えると、「高校卒業後はすぐに実家を出て自立すべき」という母の主張には、少なからず現実との乖離を感じざるを得なかった。


また、困難な状況にある私に対しても、母は厳しい態度を変えることはなかった。その姿勢の根底には、もしかすると、母自身が苦労や制約をあまり経験せずに育ってきたことが影響していたのかもしれない。恵まれた環境で育ったからこそ、生活に困窮したり、体調や家庭環境の影響で思うように前に進めなかったりする人に対しての想像力が育ちにくかったのではないかと考えることがある。

母の中では、「努力すればなんとかなる」「家を出て自立するのが当然」「経済的困窮は自己責任」といった価値観が根付いていたのかもしれない。しかし、環境や身体状況によっては、それが現実的に困難な場合もある。そうした前提の違いが、母と私の間に大きな認識のずれを生じさせていたように思う。

首藤はるか