看護師として病院で働きはじめると、過酷な労働に心身ともについていかないことを痛感するようになった。


慢性的な疲労、強いストレス、そしてぶり返すようなうつ症状。

心も身体も限界だったが、数年間、必死に働いた。

だけどある日、もう続けられない、と自分で認めざるを得なくなった。


私は仕事を辞めた。疲れ切った。働けなくなった。


頼れる実家はないので、一人暮らしのアパートの家賃を払うために単発のバイトでなんとか生活費を稼いでいた。


でも、心と身体はすり減っていた。どれだけ頑張っても疲弊するばかりだった。

家賃を払うお金も底をつきた。


スーツケースひとつを手に、ネットカフェに泊まる生活を始めた。

寒い夜、狭いネットカフェの個室で縮こまって眠る日々。


それでも、ついに限界が来た。

母の元に電話をかけた。


母は、祖父母がかつて購入した、都内の持ち家5LDKの一戸建てに住み、祖母の年金と、祖母の土地活用の収入で生活していた。

祖父はすでに他界し、祖母は療養病院に入院中だった。

その広い家に、母と母の弟(私の叔父)の二人だけが住んでいた。

叔父はリビングに布団を敷いて1階すべてを完全に自室にし、母は2階の部屋を全て使っていた。


「体調と生活を立て直すまで、住まわせてほしい。お願いします」

私はそう頼んだ。心からのお願いだった。


けれど、母の返事は冷たかった。

「無理。あたしは残りの人生楽しく生きたい」


母は、祖母が入院をした途端、祖母が大切にしていたものをフリマアプリで売り捌き始めた。茶道教室をやっていた祖母の茶道の道具、茶道の本、着物など...


母は当時58歳くらい。昔自営業で失敗して私たちを連れて夜逃げしたり、母自身も大変だったから子が家を出たあとは悠々自適に生きたかったんだろう。



首藤はるか