中学2年の2学期。
埼玉県から岩手県に引っ越して、新しい中学校に転校した私は、バレーボール部に入った。
バレーボールが好きだったわけではなく、前の学校でもバレーボール部だったのと、なにかしらの部活に入るのが普通という空気感があったのでなんとなく入った。
あの悪夢のような出来事は、バレーボール大会の日に起きた。
顧問の先生が、2年生だった私を大会のコートに立たせてくれた。
そのとき、発作が起きた。
何の前兆もなかった。
意識が戻ったとき、私はコートに立ち尽くし、尿失禁していた。
周囲にいたチームメイトたちが、自分のタオルで私の足元を拭いてくれていた。
その光景だけが、頭の中に残っている。
その後の記憶はない。
ただ、その日のことが、私が病院に行くきっかけになった。
大会を見に来ていた、同級生のお母さんが、私の様子を見て言ってくれた。
「はるかちゃんの様子は、何かの病気かもしれない。病院に行った方がいいよ」
と母に助言してくれた。
私はあの日、発作を起こし、失禁し、周囲に迷惑をかけてしまった。
恥ずかしくて、情けなかった。
でもその一方で、あの場に母以外の誰かがいてくれたことが、ほんの少しだけ私を救ってくれたように思う。
もし、母だけがその場にいたなら——
「なにやってるの!」「みっともない!」と怒られて、終わっていたかもしれない。
私は自分の意思ではどうすることもできない、原因もわからない症状を“わがまま”や“気の緩み”として責められていたかもしれない。
だから私は、観戦に来ていたそのお母さんの言葉に、今でも感謝している。
首藤はるか
