私が子どもの頃、辛かったことのひとつは「兄(二番目の兄。以降、兄②)からの暴力」だった。

毎日のように、私は兄のサンドバッグにされた。

きっかけは、本当に些細な感想や考え方の違いだった。

たとえば、普通に会話をしていて、兄が「これって◯◯だよね」と言ったとき、私が「私は◯◯だと思うよ」と別の感想を口にする。

それだけで兄は突然激昂し、すぐ近くにある家具などを手に取り、私を殴打する。

私が少しでも兄と違う意見を言ったり、全肯定以外のことを言って兄の機嫌を損ねたりすると、すぐに暴力に発展した。

兄は身体能力が高く、体格も大きい。高校時代はラグビー部のキャプテンを務めるくらいだった。

兄の暴力が始まるときは、顔でわかる。

血走った目を見開き、激昂して耳を真っ赤にし、重くて固い家具を私へ全力で振り下ろすため、歯を食いしばり歪んだ口元。我を失った恐ろしい表情

また地獄の時間が始まった、という絶望感。

自分の感情を殺し、暴力に備える

自分の心を殺し、人間ではなく無機質な物体になる


体力差があまりにも大きく、私は抵抗することすらできなかった。頭を守るようにして倒れ込み、じっと耐えているしかなかった。逃げることもできず、ただ「どうか命が持ちますように」と心の中で願い続けていた。
頭全体にガーンと響く衝撃――。

あの感覚は今でも鮮明に覚えている。

あまりに強い衝撃で、痛みすら超えていた。


暴力が終わった後は、めまいや痛みで立ち上がることもできず、私は床に丸まったまま、放心していた。

親が帰宅しても、相談などできるはずもなかった。

親は無理やりこじつけて理由を作って、私を叱責するだけなのは想像がついたから。

こんな理不尽で辛い経験を、誰にも話さなかったのには理由がある。

それは、兄②が、私がてんかんの薬の種類が増えたときリビングでいつもよりかなり眠そうにしている様子を見て、

「いつもより眠そう」

と一度だけ声をかけてくれたことだった。


そのたった一言で、私はそれまで散々殴られ続けたことをすべて水に流そうと思った。

過去に暴力を振るった兄②は、変わったんだ。優しい人間になったんだ。

そう信じた。


それ以来、私は兄②のことを、褒めることしかしなかった。

「妹の体調の変化に気づき、副作用を心配してくれる、優しくて正義感の強い兄」として、周囲にも伝えてきた。


私が痛み、苦しみ、孤独感、誰にも助けてもらえない恐怖、

暴力がいつ終わるかわからない極限の不安、

命の危機すら感じていた日々。

そのすべてを、私は、兄②の「眠そう」というたった一言で許した。


――あれから年月が過ぎた。

大人になった私は、ようやくあの頃の記憶を言葉にしてみようと思った。


そして、つい最近、母に当時の兄の暴力について打ち明けた。

恐怖に怯え、怯えながら過ごした日々がどんなに辛かったか、聞いてほしかった。

しかし、母の反応はこうだった。

「そんなのこどものよくあるケンカ!💢あんたは子供も育てたことないくせに💢」

なぜか怒り口調だった。


ここで、どうしても疑問が残る。

もし本当に「よくある子どものケンカ」だと思っているのなら、なぜ怒るのだろう。

本当に些細で、ありふれた出来事なら、「そんなこともあったね」と穏やかに振り返ればいいはずだ。堂々としていればいい。


それなのに、母は「よくあること」だと主張しながら、私がこの話を持ち出すと怒る。

のほほんとした日常の一場面だったはずの出来事に、なぜ、これほど過敏に反応するのか。


そもそも、小学校高学年以上で、成人並みの体格と力を持つ男子は、「こども」の体格ではない。

ましてや、硬い家具を使った一方的な暴力を「こどものよくあるケンカ」と呼べるような、のどかな状況では決してなかった。

そもそも「ケンカ」と「暴力」は本質的に異なる行為である。


体格差のある妹の頭部を、30分以上にわたって硬い家具で殴り続ける行為は「よくあるケンカ」なのだろうか。私は無抵抗で、頭を抱えて横になり、ただ暴力が終わるのを待っていた。これは明らかに一方的な暴力である。

社会的・法的に見ても「子どものケンカ」では済まされない。


仮に、無抵抗の小学生の妹を、固い家具の角で何度も殴りつけることが「よくあること」だとしても、

それが私が感じた苦痛と、何の関係があるのだろうか。


「よくあること」という言葉で、私の痛みはなかったことにされるのだろうか。


兄は小学校でも、授業中に突然怒って物を投げたりしていた。

音楽の授業中、兄が楽器を投げたことで、なぜか私が音楽教師から「お兄ちゃん楽器投げてたよ?💢」と叱られたことも何度もあった。

他の子にも他害していたのだろう。傷を負い、泣き寝入りしている子もいるかもしれない。


少なくとも、私に向けられた暴力は、「よくある子どものけんか」などでは、絶対になかった。


首藤はるか