私は、埼玉県狭山市で生まれた。
2歳ずつ離れた兄が2人いた。
服は滅多に買ってもらえず、2人の兄のお下がりばかりを着ていた。
私は女だが、与えられる服は男物ばかりだった。

自転車もそうだった。
兄たちは新品を買ってもらっていたが、私にはそれがなかった。
代わりに与えられたのは、パンクして、錆びて壊れてボロボロの、兄が使わなくなった自転車だった。
(パンクを直してほしいなんて怖くて言えなかった。私は自分の意見を言ってはいけないという抑圧的な空気感があった。)
自転車があるだけマシだと思っていた。兄と同等のものが与えられないことは幼いながらに何度も経験していたので、壊れた自転車が与えられるのも想定内だった。
だが、パンクした車輪を無理やり漕ぎ、ガタガタと大きな音を立てて走る私に向けられる、大人たちの「あらあら、パンクしちゃって....」という視線がつらかった。

小学校低学年の頃、食事中に父に皆の前で「お前はウンコ臭い」と言われたことがある。
母と兄2人がいる前で。
ごめんなさい、としか言葉が出てこなかった。
兄からも、「ブス」「鼻デカ」「臭い」といった言葉をほぼ毎日投げかけられていた。
家にシャワーがなく、髪は3日に1回しか洗わないように親から言われて従っていたので、臭かったんだろう。
それを言われて私がショックで泣くと、兄は私の泣き方を真似して嘲笑し、ゲラゲラ笑って私を馬鹿にする。
もちろん、親もそれを止めない。

ある親戚に「子供の頃兄にいつもブスとか臭いとか言われて辛かった」と打ち明けたことがある。
すると返ってきた言葉は
顔のこと言われたりは私もあったよ💦😅小学校の時とか好きな人からとか、色々!そこの受け止め方は人それぞれだと思うな。めっちゃコンプレックスだし今でも🤣でも大人になるともっと大切なものあったり、コンプレックスだからこそ可愛くなるためにみんな努力してるよね!それは整形も含めて👍私もずっとコンプレックスあるし、そりゃこうなりたいとかはあるけど、他にも変えたいとこは山ほどあるよ😅それは完璧な人いないんじゃないかな。私も人を傷つけることしたと思うし、なんだろうなあ...。🤔」(全て原文のまま)
だった。そんなポジティブな解釈をする心の広さは私にはなかった。

髪の毛も、兄たちは理容室で切ってもらっていたが、
私は美容室に行かせてもらえなかった。
母が自宅で私の髪を切っていた。
ある日、母は私の髪を坊主に近いほどの超短髪にした。
鏡に映った自分の姿にショックを受け、涙が溢れてきてしまった。
母は、私が何か言葉を発したわけでもないのに「子供はこのくらいでいいの!💢」と怒鳴った。
母は、私の流した涙に対して怒った。
泣くことすら許されない空気が、首藤家にはあった。

学校指定の体育帽も、私の学年からツバのある新しいデザインに変わったが、私にはその帽子は与えられなかった。
兄から引き継がれたのは、色褪せて、ツバのない、旧型の体育帽。
旧型の帽子を使っているのは学年で私一人だけだった。
恥ずかしかった。
けれど母に「皆と同じ帽子がほしい」と言うことはできなかった。
どうせまた
「わがまま言うな💢」と流されてしまうのが目に見えていたから。
体育帽は学年ごとに色分けされ、避難訓練や実際の災害時、緊急時などに、教職員が児童をすばやく判別、誘導し、人数確認をするため等の合理的な目的があって定められているものだった。児童自身も集合する時に目印にしやすい。つまり、学校指定の帽子を買わずに私だけ色や形が異なる帽子を被っていたら、他の児童にも迷惑がかかる。小学生だった私にもそのくらいの想像は容易にできた。
それにもかかわらず、私の親はその帽子の代金数百円を支払わず、私だけ異なる帽子を着用させた。
単に学校での疎外感を生じさせたというだけではなく、万が一のときに命を守る手段を、意図的に与えなかったことになる。
一体、親はどんな心理だったんだろう。
ただの「無頓着」ではどうしても説明がつかない気がしてしまう。
そこにはもっと別の、私の存在を軽んじるような理由があったのではないか、そんなふうに邪推してしまう。
母に、小学校の時、学校の帽子を買ってもらえなかったことがつらかったと打ち明けたことがある。
すると母は「私だって子供の頃、近所の子が歩いて学校に通ってるのを横目に、私だけ制服着て国立の小学校に通ってて、孤独でつらかった」と言った。
私の気持ちに共感を示そうとしたのだろうか
私は、必要最低限の物さえ手に入らない辛さを伝えたかったが、母が小学校から環境の良い学校に学費を惜しまず出してくれる祖父母のもとで良い学校に通わせてもらっていたことに無自覚であることが、ある意味残酷だと思った。
首藤はるか