ちょっと硬い文章を書きたい気分です。

 

ゆるふわウキウキ感はゼロです!ニヤリ

(前回の「フィンランドに行きたい」みたいな)

 

硬くてもOKな硬派な方はどうぞ!!! ↓

 

 

 

 

 

最近わかったこと。

 

 

 

「自分軸を持つ」とか、

「地に足をつける」とか、

「夢を持つ」とか。

 

 

 

こういう話は

 

 

「これができたらステキね」レベルの話ではなくて、

 

「これができないと死ぬ」レベルの話

 

です。

 

 

それはみんながみんな

「大きなことを成し遂げなければならない」

ということではなく。

 

 

自分の人生を自分の価値観で生きられなかったら、

どんな人でも

生きてるんだか死んでるんだかわからない状態になるということ。

 

具体的に言うと

毎日楽しいことも楽しいと感じられず、

大事な人を大事にできず、

いつもイライラしがちで愚痴が多く、

健康に生きるのが難しいだろうな、と。。

(私の場合は慢性的に肩こり)

 

 

どう生きていけば良いのかは

 

早くに分かる人もいるし、

40代になってからわかるひともいる。

 

でもみんな、ほんとはちゃんと知ってる。

人生に対する価値観。

 

 

ある人にとっては

「会社のために尽くすこと」かもしれないし、

「子供や孫のために走り回ること」かもしれないし、

「PTA役員とか、ボランティアで活躍すること」かもしれないし、

「とにかく新しいことを勉強すること」かもしれないし、

「週末をソロキャンプして過ごすこと」かもしれない。

 

「好きなドラマの感想を発信すること」とか、

「いつも完璧な服装でいること」とか、

「人にわかりやすく説明すること」とか、

「友達とおしゃべりすること」とか、

「韓国ドラマを見てキュンキュンすること」とか、

 

何に命(=時間)をかけたいか、は人それぞれ。

 

ほんとに人それぞれ。

 

自分で決めることだし、

 

みんな本当は知ってる。

 

 

 

でも迷子になってしまう人がいるのは(like me)

 

育った家庭で充分な愛情を感じられなくて

自分を守るために直感へのアクセスをやめてしまっていたり

 

しつけや教育や情報の影響を大いに受けてしまう性質だったりするから。

 

(今は時代的に価値観がシフトしているので、それも大きい)

 

 

あ、そうそう。

子どもを「自分迷子」にしたくなければ

成長の邪魔をしてはいけません。

 

 

親が子にできる一番のことは「邪魔をしない」。

 

 

「温かいごはん」と「温かい布団」と「温かい会話」があれば、

子供はすくすく育っていく。

 

子育ての基本だと思っています、

「邪魔をしない」。

 

子供が好きなことをしている時に

「宿題は?」と聞いてしまう。

(だれのために言ってることなんでしょう)

 

習い事をやめたいと言われた時に

「せっかく始めたんだからもうちょっと頑張って。」

「やるって言ったのあなたでしょ。」

と言ってしまう。

(同上)

 

全部、子供の自立の邪魔です。

 

 

親がモヤッとすることを全部引っ込めるべき、という意味ではありません!

 

子供の成長を邪魔せずに親の「モヤ」を伝える方法と

子供の「モヤ」を聞いて子供が自分で未来を切り開く方法は

親業訓練」のセミナーや本で学べます。

子育て迷子、自分迷子のすべての人に超絶オススメ。

 

 

 

 

話戻しまして。

 

 

 

風の時代と言われてるけど、

 

風がビュンビュン吹いてるところで地に足付いてなかったら

流されて(飛ばされて?)終わり。

 

 

流されて終わり。

 

 

そして、私はずっと流されてきました。

 

ずっと目がまわってる。

 

 

 

良いな、と思う情報に飛びついてヒントを探してたけど、

それは入っては出ていき、入っては出ていき。

 

 

全然役に立たなかったかといえばそうではないのですが。

 

HSPという考え方に触れたことで

今までの自分の違和感の謎が溶けてスッキリしたし、

 

親業のやり方を身に着けたことは

人生のベースになっています。

人とのコミュニケーションが超絶大事な私にとって、

本当に頼れる知識です。

(親の自己受容も親業のテーマの一つ)

 

 

知識を得ることは、確実に私を生きやすくしてくれました。

 

 

でも。

 

それでも私が「こうありたい」に向かって行動開始できなかった理由。

 

 

 

それは

私に覚悟がないから

でした。

 

 

覚悟とは、生き方を決めること。

 

「私はこうなる」と決めること。

 

それだけ。

 

 

 

今まで決められなかったのは、

 

「決めたら背負わなくてはいけなくなる物を背負う覚悟がなかったから」

 

です。

 

それだけのエネルギー心と体になかった。

 

 

 

私にとっての「こうありたい」は

 

「自分がマイノリティであるために困ってる人を支える存在」であること。

「知識を活かせる仕事」をすること。

「組織が円滑に機能するよう立ち回る」こと。

 

具体的には、

公的な場所においての

HSC/HSP、発達障害の子のサポート、

外国人生徒のサポート、

自分の子が不登校であるために悩む親御さんのサポートなど。

 

 

こうして書いてみると

今職場でやっていることばかり。

 

期せずして叶えてもらってたんだなあ。

 

 

私、これをきちんと責任ある立場になって専門家としてやりたい、のです。

 

そうすると、

勤務時間が増え、

勉強することが増え、

関わらないといけない人の種類が増えます。

 

お給料とか、世間的な地位?とか、

全部が理想にはならない。

 

 

でも、こういうことを受け入れるのが覚悟。

 

責任を負うために頭や労力やお金を使うこと。

 

そうまでしてでもやりたいこと。

 

それが夢なんですねえ。

 

 

 

今までは理想にならない部分を「言い訳」にして

チャレンジしてきませんでした。

 

でも、そろそろ「がっつり」取り組みたくなってきていて。

 

(心と身体の充電が溜まってきました)

 

(そのためにやってきたことはまた別に書きます。)

 

 

だから、そのために起こることは

全部飲む、清濁併せ呑む。

 

 

 

あと1年で40代になるわたし。

 

どうやらここからのテーマみたいです、

「清濁併せ呑み」。

(何かの攻撃名みたい、、)