最近、また後悔の波がやってきます。
母が亡くなり、来月で3年になるのに、今更こんなことに気づくなんて、、、と情けなくなりますが、言葉に残しておきます。
私は母ががんに罹患してから、かなり色々な本を読んだり、ネットで情報を集めたりしてました。
だから早期から緩和ケアに関わることに前向きでした。母が抗がん剤治療中、治療をしてる大きな病院で、地域の緩和ケアの病院を紹介されることになりました。
今ふと思えば、主治医も看護師も緩和ケアの病院に繋いでくれた大きな病院内の地域医療連携室の人も、なぜ、今の治療している時期から緩和ケアが必要なのか、誰も丁寧に説明してくれることはありませんでした。
そして私も、ちゃんと母に説明してあげてなかった、、、
私は早期から緩和ケアに繋がれる嬉しさと、主治医に対して全面的に信頼してるわけではなかったので、もっといい先生に繋がれるならとの希望いっぱいの気持ちで、母の気持ちを置き去りにしていました。
母は病気について積極的に知ろうとはしてなかったので、緩和ケアときくと、終末期のイメージしかなかったと思います。
元気な時の母は活発でなんでもハキハキものをいうタイプでしたが、病気になってからはあまり自分の意見は言わず、何事も受け身の感じでした。
だから緩和ケアを勧められても、特に質問することもなく、意思を伝えるわけでもなく、はいはいと受け入れたけど、あのとき、ちゃんと私が説明してあげたらよかった。
緩和ケアのイメージが終末期医療というのも問題だと思います。誰でもいつでも繋がるべき医療だとは思いますが、そこはもっともっとイメージ払拭に尽力してほしいです。
実際、緩和ケアの病院の先生、看護師さんには大変お世話になりました。
母も先生のこと、信頼してた。最期まで先生が家に往診にくるたび、私たちがびっくりするくらい元気な声で返事してた。
先生、元気かなぁ。普通に地域の病院として診察もしながら、緩和ケアの診察や往診もされていて、本当に感謝しかないです。母が息を引き取ったとき、夜中にも関わらず、きてくださった後ろ姿が今も目に焼き付いてます。寝癖がついていて、それがとっても印象的で。
母のことを思って最善策をと考えていたつもりだったけど、今思えば自分のことばかりだったなぁ、母に寂しい思いをさせたかもしれない。辛い気持ちにさせたかもしれない。今、後悔しても仕方ないのだけれど、いつか私もあちらに行ったら謝りたいです。
命日が近くなると気分も下がってしまう、、、これはあるあるなのかな。
低空飛行のまま、丸3年を迎えそうです。
こういう時期をなんとか乗り切れるように、この子はうちに来てくれたのかもです。
気が強くて活発な女の子。
実は母なのかと思うこともあります笑
なので、名前の一文字は母の名前から取ってます。