何度もご報告しているコトですが…、今回のアメリカ旅行は 駐在帰国後 3回目(!)の 訪米でございます(*v.v)。


アメリカで暮らしていた…とはいえ、1回目の時は 約8年ぶり。

おぼろげな記憶を頼りに、無謀ともいえるスケジュールを決行。

ロスに降り立ったその日に、ラスベガスへ移動という暴挙ッ( ̄□ ̄;)!! 

機内で眠らないダンナにハンドルを託し、懐かしのアメリカの景色をキャーキャー言いながら車内で浮かれてたのもつかの間…(+_+)睡魔が彼を襲い、我らを恐怖のどん底に突き落とした…あの経験を教訓に、2回目は ロス到着後は空港からそんなに遠くないハリウッドを訪れるスケジュールにし、そして 今回は 夕方到着ということもあって レンタカーに乗り込んで まっすぐ モト家のある街へ一直線!


そしてアメリカ到着後、初めて口にする夕食は やっぱ中華レストランだねッ と満場一致の決定とあいなったラブラブ!




毎回毎回訪れる 家族お気に入りのS,W,Seafood&B-B-Q Restaurantでございます。

去年来た時と、なんか…違う…キレイになったぁ?




☝これは、去年訪れた時の店内…



   左上矢印で、今回…。

ライトなんかもお洒落になっとる…気がするが…?

心持…店内も明るいような…ひらめき電球


このレストランは、駐在中 子供たちがESLに通っていた時に クラスが一緒になった日本人の方の 帰国が決まり、送別会を兼ねた食事会に参加した時に訪れたのが始まり。

あまりにも美味しかったので、家族を連れて来てからのお気に入りでございます…。

(ESLとは 何ぞやっ?と思われている方は 3月3日のブログ:「懐かしのESL時代…ガールズはグロスと呼ぶ」をのぞいてみてくださいなにひひ


ESL時代は どうもお母様方と そんなに親しくなれなかったなぁ…ショック!

本来の人見知りもあるけど、時期も悪かった…!?

全てではないでしょうけど、うちらのまわりの駐在員の家族の方々は、9月の新学期にあわせて 8月の夏休み中に渡米…というパターンが多かった。

我らといえば、確かにダンナは8月に渡米したが、はじめはニューヨークのほうで研修だか何だかがあり(もう ほぼ 覚えていない…汗)、配属先のロスに来て 仕事をしながら 住む家を探したりしていたので、私達が呼ばれたのは 11月も半ばぐらいだった。


諸々の手続きや 予防注射なんかも受けなきゃならなかったので、結局 学校に通えるようになったのは12月の上旬でした。


すでに、クラスの人間関係も形成されてたし それは ママたちの関係にも同じことがいえることで…(-"-;)


でも、「いやぁ~な奥様」テキな人やお高く留まってる…テキな人もいなかったので、快適では…あった…にひひ

必要な情報は 共有してくださったし、初めは親子ともども よそよそしいカンジが拭えなかったが、子供同士が仲良くなってくると、ママ友たちとも 良いお付き合いをさせていただけるようになりました音譜


でも、相変わらず 一人のほうが気が楽だったので、フラフラしてたなぁ…(*´σー`)


あと、幸運なことに アメリカ永住の日本人の方々と知り合う機会があったので、その人たちに とーってもお世話になりましたラブラブ

エピソードは多々あるので、今後 少しづつ…( ´艸`)


一人は気楽だけど、やっぱり 人は人の中でしか生きられないし、楽しい想いも生まれません。

異国生活の緊張の中、「助け合い」の心がどんなに大事なのかをつくづく感じたものです…

想い出は 褪せていきますが、たくさんの人にお世話になったことは忘れちゃいけないですよね…。

少しでも そんな想い出を紹介させていただけたら…と思ってマス…

(…おいおい 「アルバム作成」を忘れちゃいないかいッあせる


ホント たくさんの方にお世話になりながらの駐在生活でした。

いろんな場面で守ってももらいました(v.v)。

いい思い出がたくさんなので、こうして 帰国して10数年たっても、このモト家のまわりが家族みんなして好きだし、3回も(!)来たくなっちゃうんだよねぇ…きっと。


考えてみたら、ダンナの会社は 「前任者」なるものもいらっしゃらなかったので、まさにアメリカ生活は「ゼロ」からのスタートだった叫び


家族を呼ぶまでの間、ダンナは たった一人で、生活の基盤を揃えなくちゃならなかったし、ほとんど頼れる存在もないなか さぞや 大変なことだったんではなかろうか・・・。


それだけ考えても、ダンナを大事にしてあげなきゃ…ならんよね…


ん…わかってるんだけどね…えぇ…はい…( ̄_ ̄ i)

…そして…ごめんなさい…(-""-;)