その片田舎の平屋のある場所は、
かつての古戦場でもあった。
南北朝時代の歴史にも登場する場所だ。
歩いて行ける場所には、空海さんの開いたお不動さまがあった。
毎月参道に市が出て、少しばかり賑わいはするけれど、
普段はひっそりとした、平家の落武者の村のような風情があった。
ーーそんな寂しいとこに 一人でよう住めるねぇ、、、。
私やったらよう住まんわ〜ーー
よく人から言われたものだったが、
そもそも私はこの地で受胎したのだ。
生まれたのは大阪市内の病院でだったけれど。
胎内記憶というのか、懐かしい記憶がそこにはある。
父の一家は戦時中大阪市内に住んでいたが、
空襲が激しくなって、この場所に一家揃って疎開してきたそうだ。
そこの地主である農家の屋根裏に仮住まいした後、
地主さんの勧めで、近くの土地の一角を借りることになった。
そこは竹藪になっていて、家族総出で竹藪の土地を開墾し、
おじいちゃんが大工さんと一緒に家を建てた。
ー竹藪を家族揃って開墾したんや。根っこが張っとるから、
そらエラかったで〜。ー
おじいちゃんと父からよく聞かされた。
そら大変だっただろうな、
筍一つ掘るだけでも結構な労働なんだからな。
一時、おじいちゃんおばあちゃん、
父の姉夫婦、父と母、、、の六人家族が
この小さな平屋で暮らしていたそうだ。
私が生まれる少し前に父と母は引っ越しし、
私が生まれて間もなくおじいちゃん、おばあちゃんも
父母と同居することになり、
この平屋は父の姉夫婦、つまり叔母ちゃん一家がしばらく住むことになった。
夏休みに叔母ちゃんの家に遊びにゆくたび、懐かしい気持ちになっていたのは
私がここで母の胎内に宿ったからということもあったのだろう。
当時は、家の前が深い山になっており、歩いて数分の所には澄んだ谷川も流れていた。
谷川で父が釣った大量の鮒(ふな)を、おばあちゃんが佃煮にして、
みんなで食べた記憶がある。
夏の終わり。
ひぐらしが鳴くと、
「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」
芭蕉の句の世界がそのまま味わえる場所だった。
天河 弥山にて、、、。
そこに住むようになった頃には、家の前に聳えていた山はすでに宅地開発のために崩されてしまっていた。
そして、家の真ん前は製作所になっていた。
日中、工場の機械音が途切れなかったが、そこで何を作っているのかは、
最後までわからずじまいだった。
それにしても運命というのは不思議なものだ。
そこにある時期、10年ばかり住むことになった。
私が、今のパートナーと出会い、関東へと引っ越すまでの
12年間のことだ。
前半は海外に行くことも多く出たり入ったりだったが、
12年の終わりの1年程をここでミカエルと過ごした。
家の裏手は竹藪になっていて、緩やかな谷になっている。
谷を上がると坂道があり、その向こうが河原になっていた。
ミカエルは、その谷を遊び場にして、駆け回ることになった。
続く。
