仕事の成果に対する考え方
ここのところ、私のブログに何度も登場している、ドラッカー先生の本で書かれたことについて、日々僕も感じていたことが書かれていたので、自分への備忘録を兼ねて、自分の考えを混ぜ合わせて、書き出してみようと思います。
(ちょっとまじめに、長文を書いてみました。。。)
現在の世の中の労働者のほとんどが、知識を使って働く労働者(著書では「知識労働者」と書かれています)であるが、その知識労働者は、仕事においては、成果あげなければならないのは当然であります。
ただ、その『成果』に対する考え方一つで、個々の知識労働者の成長(個人のスキルの成長しかり、収入面での成長しかり・・・です)が、大きく変わってしまう、ということに気が付いている人が、一体どれくらいいるだろうか・・・と、ときどき私も思うことがあります。
噛み砕いて言いますと、たとえば、
[A]
上司に与えられた業務を、上司が満足するレベルで100%完遂することに集中し、それに対して一生懸命に業務を行い、成果として提出する。
[B]
同じく、与えられた業務を同じように行い、成果として提出するが、その過程で、自分が提出する成果が、他にどのような影響を与えるか、その影響を考えた際に、場合によっては、果たして、言われたとおりに提出することが是か非かを考えた上で、『成果』とする。
という2つのとらえ方を考えてみましょう。
私も某社において管理職をしていますが、当然のことながら、[B]を行う部下のほうを高く評価します。加えて、自分が、自分の上司から仕事の指示があった際は、必ず[B]の考え方を基本にして、業務を行います。
なぜならば、理由は唯一つです。それは、
「上司の言っていることが、必ずしも100%正しいとは限らないから。」
です。
当然、私も部下に指示もしますが、それが100%正しいとはいえないかもしれません。「上司」は、部下よりも視野が広い(はず)ですが、必ずしも万能の神ではないからです。(自分に対する戒めとしても・・・ね。
)
ただ、この業界でいろんな人を見てきましたが、残念なことに、圧倒的に[A]の人が多かったです。
中には、自分が知っていること、自分が見聞きした内容の世界だけで物事を考え、成果を提出する際、
「これで間違っていません!自分の何が悪いんですか!?
」
と、強い口調で言ってくる人がいます。特に私がいるIT業界は、「スペシャリスト(エンジニアなど)」が多い業界でもあるので、良くそういう場面に出くわしてきました。
さらに言うと、[A]ないし、上記のような強い口調で話す人は、その限られた範囲内での成果を出すことに精いっぱいで、日々「忙しい」とか「余裕がない」という人が結構います。
そこに、Aの人と、Bの人の差が出てくるのだと、私は思います。
Bの人は、たとえ忙しくても、[B]の考え方を常に持ち、仕事や成果に向けた努力を、常に「自分のペースに巻き込む」やり方をよく知っているのではないかと思います。
逆にAの人は、成果を出すことに翻弄され、[B]のような考え方を学び、実践する機会や時間がないのかもしれません。もしくはまったく気づいていないのかもしれません。あるいは、上司に対して絶対的に従わなければならない環境にあるのかもしれません。
少なくとも、これまでの私の社会人人生では、常に[B]を実践してきました。時には上司に苦言を呈してきたこともあります。(もちろん、苦言の根拠は、徹底して準備したうえで・・・ですがね。
)
そのおかげで、これまでそれなりに評価をいただいてきたと感じていますし、何より、仕事が常に自分の手のひらの上にあるという感触(手ごたえ)を持ちながら仕事ができていることに、一番の自分自身の成長を感じています。
『成果』に対する考え方一つで、自己の成長が変わる・・・
私の考え方が必ず正しいとは思いませんが、皆さんも一緒に考えてみませんか?
(ちょっとまじめに、長文を書いてみました。。。)
現在の世の中の労働者のほとんどが、知識を使って働く労働者(著書では「知識労働者」と書かれています)であるが、その知識労働者は、仕事においては、成果あげなければならないのは当然であります。
ただ、その『成果』に対する考え方一つで、個々の知識労働者の成長(個人のスキルの成長しかり、収入面での成長しかり・・・です)が、大きく変わってしまう、ということに気が付いている人が、一体どれくらいいるだろうか・・・と、ときどき私も思うことがあります。
噛み砕いて言いますと、たとえば、
[A]
上司に与えられた業務を、上司が満足するレベルで100%完遂することに集中し、それに対して一生懸命に業務を行い、成果として提出する。
[B]
同じく、与えられた業務を同じように行い、成果として提出するが、その過程で、自分が提出する成果が、他にどのような影響を与えるか、その影響を考えた際に、場合によっては、果たして、言われたとおりに提出することが是か非かを考えた上で、『成果』とする。
という2つのとらえ方を考えてみましょう。
私も某社において管理職をしていますが、当然のことながら、[B]を行う部下のほうを高く評価します。加えて、自分が、自分の上司から仕事の指示があった際は、必ず[B]の考え方を基本にして、業務を行います。
なぜならば、理由は唯一つです。それは、
「上司の言っていることが、必ずしも100%正しいとは限らないから。」
です。
当然、私も部下に指示もしますが、それが100%正しいとはいえないかもしれません。「上司」は、部下よりも視野が広い(はず)ですが、必ずしも万能の神ではないからです。(自分に対する戒めとしても・・・ね。

ただ、この業界でいろんな人を見てきましたが、残念なことに、圧倒的に[A]の人が多かったです。
中には、自分が知っていること、自分が見聞きした内容の世界だけで物事を考え、成果を提出する際、
「これで間違っていません!自分の何が悪いんですか!?

と、強い口調で言ってくる人がいます。特に私がいるIT業界は、「スペシャリスト(エンジニアなど)」が多い業界でもあるので、良くそういう場面に出くわしてきました。
さらに言うと、[A]ないし、上記のような強い口調で話す人は、その限られた範囲内での成果を出すことに精いっぱいで、日々「忙しい」とか「余裕がない」という人が結構います。
そこに、Aの人と、Bの人の差が出てくるのだと、私は思います。
Bの人は、たとえ忙しくても、[B]の考え方を常に持ち、仕事や成果に向けた努力を、常に「自分のペースに巻き込む」やり方をよく知っているのではないかと思います。
逆にAの人は、成果を出すことに翻弄され、[B]のような考え方を学び、実践する機会や時間がないのかもしれません。もしくはまったく気づいていないのかもしれません。あるいは、上司に対して絶対的に従わなければならない環境にあるのかもしれません。
少なくとも、これまでの私の社会人人生では、常に[B]を実践してきました。時には上司に苦言を呈してきたこともあります。(もちろん、苦言の根拠は、徹底して準備したうえで・・・ですがね。

そのおかげで、これまでそれなりに評価をいただいてきたと感じていますし、何より、仕事が常に自分の手のひらの上にあるという感触(手ごたえ)を持ちながら仕事ができていることに、一番の自分自身の成長を感じています。
『成果』に対する考え方一つで、自己の成長が変わる・・・
私の考え方が必ず正しいとは思いませんが、皆さんも一緒に考えてみませんか?