毎朝グリーンスムージーを作る。
500mlのボトル3本。
その他に何かかんでたべたくなったら生野菜。
そんな生活をして、お盆休みや連休の親族とすごしたりするときだけ、少し普通のものを食べた。
そうすると太る。
だから太った分を減らすようにまたローフードとグリーンスムージーだけの生活。
果物が家にないと食べ物がないような感覚になってきていた。
異常だったと思う。
健康法としてはローフードもナチュラルハイジーンも良いのだと思う。
痩せるために学んではいけないと今は思う。
痩せていかない自分を、厳格に法則をまもれていないからだと責めて、また厳しくする。
そうすると食べてはいけないような気持ちになって、どうしたらよいかわからなくなる。
太ると会いたい人に会えない気がして。
息子がにっこり差し出す「ママ、美味しいから一口あげる。」や「一口食べて。」が受け入れられなくなってきていた。
息子のご飯を作りつつ、テーブルで生野菜しか食べない私。
息子はどんな風に見ていたんだろう。
体重増加の恐怖を乗り越えようと、食べることを決意し、食べたとき、息子はニコニコしていた。
会社でも、前まで一緒にお昼を食べていたのに、断ることが多くなったから、どうしてと言われていた。
私はよほど美味しそうに食べ物を食べていたらしい。
料理がすきで、食べることが好きだから、食べ物の話も大好きで、それが楽しいと言われた。
親族にも良く外食を誘われたり、新しいお店があれば味を見に行こうと誘われた。
行っても野菜しか食べないようになってから、つまらないし気持ち悪いと誘われなくなった。
(たぶんすごく心配された。チョコレートダイエットなど新しい食べるダイエット情報があると教えてくれるようになったから。)
大切な人に食のことと体重のことばかり話すようになった。
その度に受け止め、何気なくダイエットの色々の話をしてくれた。
もしかしたら心配してダイエットのこと、調べてくれていたのかもしれないと思うほど、ダイエットについて一緒に話してくれた。
なんでそんなにこだわるのかとも言われた。
何度言っても食べるのが怖いと、体重計にのったあと、少しでも数字が増えたら電話で泣きそうなほどオロオロする私に、自分も野菜と果物しか食べないと言ってくれた。
あのとき、その言葉と、翌日からの実行がなければ、食べようと思うのはまだ先だったかもしれない。
食べなくても体重がじわじわ増えたり、変わらなかったりでどうしていいかわからなくて、狂いそうだった。
一番最初の「食べたくない」という精神状態は改善されていたから、知らない間に「食べたい」気持ちが膨らんでいた。それを「体重増加」という恐怖が押さえていただけだった。
ローフードを実践していた人のブログで、ある時、よく意味がわからない文があった。
「自分はローフードに救いを求め過ぎている。」というような文。「本当は食べるものを選ばずに出されたものは残さず食べても平気な胃袋がほしい。」とも。
読んだときはよくわからなかった。
これを書いた人はたぶんまだローフードを実践している。
だから私が解釈した意味と違うのかもしれない。でも私も同じ事を今感じている。
痩せることを目的にローフードやナチュラルハイジーンを実践するのは今はおすすめしない。
特に摂食障害になるおそれのある人は。
伊達式を知り、ステップあやさんを知って、今食べるようになって3日目。
息子との食事が楽しい。
玄米を炊いて上手に炊きあげたとき、食べるのがうれしい。
秋の味覚、かぼちゃや栗を罪悪感なく食べられる。
大切な人へいつか何かを作ってあげたいと料理しながら想像できる。
心の中で
「食べることは生きること」
という言葉が何度も繰り返されている。
食べるとは、人とつながりを持つこと。
私にとっては、創作し、感じる楽しみ。
痩せたい気持ちはなくならない。
体重計にのってどんどん体重が増加していけば、また食べたくなくなったりすると思う。
でも今は、しばらくぶりに自由にたべれることに幸せを感じる。
私と同じようにローフードとナチュラルハイジーンなどに痩せることを期待して実行し、変動しない体重に更に食を厳しくし、どうしたらよいか途方にくれている人がいるかもしれない。
私は今は加熱や食べ合わせを気にせずに、カラダの要求にあわせて食べることを選び始めました。
どうなるかわからないけれど、しばらく続けてみます。
大切な人へちょっと迷惑かけながら。
息子と明日は息子がひろってきた栗を食べようかな。
お赤飯をつくってほしいと言われていたからお赤飯も良いかもしれない。
小豆と、とびきり美味しいかぼちゃがあるから、あんこを作ってかぼちゃを蒸かして一緒に食べようかな。
体重計を気にしないようにできるのはどのくらいまでかなー。
せめてもそれまで楽しもう。