私は、いつもお腹を空かせていた。

だから、小学校の給食が待ち遠しくて仕方なかった。


配膳が終わると、先生が「余ったおかず欲しい人ー?」と声をかける。

手を挙げるのはほとんど男の子だったが私は毎回手を挙げていた。


そのあとはじゃんけん。勝てば、少しのおかずが手に入る。

それだけのことが、当時の私にはものすごく大きな希望だった。


とにかく、お腹が空いていた。

体は痩せていて、背も低かった。


――ある日、身体に限界が来た


母の買い物について行ったときのことだった。場所はホームセンター。

私は昔からひどい乗り物酔いがあって、車に乗るのが本当に苦手だった。

でも、行こうと言われると怖くて断れず、無理して一緒に行った。


その日は、なんだか様子が違った。

店内を歩いていると、酷いめまいと吐き気がしはじめた。


意識がどんどん遠のき、吐き気がして、冷や汗が噴き出した。

「あ、もう無理だ」――身体が悲鳴をあげていた。


それでも、母は私の顔を見ず、立ち止まってくれなかった。

強く手を引かれて、耳元に怒鳴る声が響いた。

「さっさと歩きなさい💢!」


でも、もう動けなかった。足に力が入らない。


そのあとのことは、ほとんど覚えていない。記憶が、ぽっかりと抜け落ちていた。


その日、病院に行った。血液検査の結果は、重度の鉄欠乏性貧血。

当時の私の年齢では、ヘモグロビンの正常値は12g/dL前後。けれど、私はその半分以下、たったの5g/dLしかなかった。

Hb5――そんな数値でふらふらになっていたら、本来なら誰かが気づいてくれるはずだ。

顔色は真っ青だったはず。目に見えて異常だったはず。


それなのに私は、歩けなくなって倒れ込んで、怒鳴られて――

ようやくそこで、周囲に「おかしい」と思ってもらえたのだった。


私は、明らかに栄養失調だった。

家で出される食事は、すべて残さず食べていた。好き嫌いもなかった。

ただ、出される食事そのものが少なすぎるうえに栄養がかなり偏っていた。


その夜、母は私を強く叱った。

「あんたのせいで私が恥をかいた」と。


おそらく病院で「もっと栄養のあるものをしっかり与えてください」と指導されたのだろう。

母のプライドは、傷ついたのかもしれない。


首藤はるか