こんばんは(*^_^*) 鈴成上々(すずなりしゃんしゃん)です。
私自身のことで、少し前に気づいたことを書いてみたいと思います
「依存」ってね、するのもされるのも嫌いで、私は「依存」には関係ないと思っていたのです。
誰かがいないと私はダメ、もないし、
あなたがいないとダメ、って言ってほしいとも思わないし、
子供が巣立っていった時に、自分が空っぽになるなんてありえない、って。
反対に、子供がいるからできないことがあるな、と思うことは時々ありました。
それでも、以前、子供の犠牲になっている、なんて思っていた時があったことを考えれば、今は犠牲になっている感はなくて、いい関係が築けていると思い込んでいました。
でも・・・
気づいてしまったのです。
「~のために・・・」という依存と
「~のせいで・・・」という犠牲は
同じだ、ということに!
両方とも「自立」していないのです。
無意識に「~のために」「~のせいで」と思っていると、責任を取らなくて済むのです。
そこに、責任を取らない自分を発見したのでした
私が、「子供のために~しなきゃ」という時、子供のためにすること以外のことは、おろそかにしてもOKと自分に言っているようなものだったのです。
それは、
責任を取らない態度
他の人に責任転嫁する態度
自立していない態度
だったのです
人は一人では生きていけませんし、何かにあるいは誰かにお互い依存しながら生きていっているものだと思います。
けれども、自立している人が依存とわかって依存するのと
自立していない人が依存と気付かずに依存しているのでは
同じ依存をしているという態度でも、天と地ほどの違いが出てきます。
いろいろな悩みは
「責任を取る」「自立する」
ことができていないために起こってきていたのだと、悟ったのです
今までは
責任を取っている風
自立している風
だったのです。
恥ずかし~~~~
責任を取ります
自立します
と宣言しました
するとね、今まで「なんで私がしなきゃいけないの?」と心の奥底で思っていたこと、嫌でやらずにすませてきたこと(家事とかね)、がサクサクできるのです。
いかに責任取ってこなかったか、ってことです。
きっと今まで迷惑おかけしていた人がたくさんいるでしょう。
皆様、本当にごめんなさい。
気づけてよかったです
個人的なことがらの長文にお付き合いくださり、ありがとうございました!
私自身のことで、少し前に気づいたことを書いてみたいと思います

「依存」ってね、するのもされるのも嫌いで、私は「依存」には関係ないと思っていたのです。
誰かがいないと私はダメ、もないし、
あなたがいないとダメ、って言ってほしいとも思わないし、
子供が巣立っていった時に、自分が空っぽになるなんてありえない、って。
反対に、子供がいるからできないことがあるな、と思うことは時々ありました。
それでも、以前、子供の犠牲になっている、なんて思っていた時があったことを考えれば、今は犠牲になっている感はなくて、いい関係が築けていると思い込んでいました。
でも・・・
気づいてしまったのです。
「~のために・・・」という依存と
「~のせいで・・・」という犠牲は
同じだ、ということに!
両方とも「自立」していないのです。
無意識に「~のために」「~のせいで」と思っていると、責任を取らなくて済むのです。
そこに、責任を取らない自分を発見したのでした

私が、「子供のために~しなきゃ」という時、子供のためにすること以外のことは、おろそかにしてもOKと自分に言っているようなものだったのです。
それは、
責任を取らない態度
他の人に責任転嫁する態度
自立していない態度
だったのです

人は一人では生きていけませんし、何かにあるいは誰かにお互い依存しながら生きていっているものだと思います。
けれども、自立している人が依存とわかって依存するのと
自立していない人が依存と気付かずに依存しているのでは
同じ依存をしているという態度でも、天と地ほどの違いが出てきます。
いろいろな悩みは
「責任を取る」「自立する」
ことができていないために起こってきていたのだと、悟ったのです

今までは
責任を取っている風
自立している風
だったのです。
恥ずかし~~~~

責任を取ります
自立します
と宣言しました

するとね、今まで「なんで私がしなきゃいけないの?」と心の奥底で思っていたこと、嫌でやらずにすませてきたこと(家事とかね)、がサクサクできるのです。
いかに責任取ってこなかったか、ってことです。
きっと今まで迷惑おかけしていた人がたくさんいるでしょう。
皆様、本当にごめんなさい。
気づけてよかったです

個人的なことがらの長文にお付き合いくださり、ありがとうございました!