私が記憶している私の歴史をひもとき、「今の私」がどうやってできたのか解明しようという試み~「私はどうやってできたのか」 続きです。
過去記事↓
私はどうやってできたのか①
私はどうやってできたのか②
私はどうやってできたのか③
何か手に職がつく学科に行きたいと思った。
そこで選んだのが、栄養士だった。
栄養士資格がとれる大学は何箇所があったが、栄養士の上級資格として管理栄養士があった。
どうせなら上級資格がいい、と思い、管理栄養士資格がとれる大学に入った。
管理栄養士も今は国家資格となり、国家試験を受験し合格しないといけない。
しかし、私の入学した年まで、管理栄養士養成機関で勉強したら資格がもらえたのだ。
大学は1年から専門科目があり、調理実習などもあった。
大学の授業は忙しかった。
ほぼ毎日、一日授業や実習などがある。
3年では午後は何らかの実験実習があった。
生化学実習では、ラットを飼育して解剖する実験もあったのだ。
カビを培養したり、添加物を抽出したりする実験もあった。
実習実験が多いということは、レポートも多かった。
実習実験ごとに必ずレポート提出があったのだ。
図書館にはよく通った。
いろいろな文献を調べたりしたものだ。
レポートをよく書いたおかげで、
目的→方法→結果→考察→新しい実験
という思考回路が頭の中に出来上がった。
授業には真面目に出ていた。
真面目な学生だったのだ。
授業は前の方でよく聞いていたし、ノートをとるのがうまかった。
そのころはなかったが、授業ノートを売れるくらいなものだったと思う。
テスト前には、いつも友達に貸してあげていた。
大学には毎日お弁当を持っていっていた。
しかし、お腹が空く。
おやつに、学食でラーメンを食べていた。
若い頃は大食いだった!
友達も大食い友達だった!
友達に誘われ、サークルにも入った。
テニスのサークルだった。
コンパサークルではなく、結構まじめに練習しているサークルだったが、授業が忙しいこともあり、あまり参加していなかった。
時々合コンにも行った。
合コンがきっかけで付き合うことはなかったが、日付が変わってもお酒を飲んだりおしゃべりしたり、楽しかった。
ただ、自分を好きになれず、自己肯定感の低さに悩むことが多かった。
そんな記事が出ている雑誌をよく買っていたように思う。
4年には、学外実習があった。
病院での実習の時、私は何も考えていなかったが、しんどい方の仕事を続けてしていたようだった。(自覚はなかった)
その時、調理師さんがおっしゃった言葉を今でも忘れない。
「がんばっていることは、必ず誰かがみている!」
4年では、忙しいといわれているゼミに入った。
そのゼミの研究テーマがおもしろそうだったからだ。
毎日、研究室に通った。朝から夜まで(といっても7時半くらいまで)実験していた。
パンの研究をしていたので、毎日パンを焼いて、パンをコピー機に並べコピーをとり、試食をしていた。
そのころ、パンについてはうるさかったと思う。
「このキメは・・・」
「弾力が・・・」
「粘り気が・・・・」などなど
就職する段になって、そのゼミからは大手メーカーに研究職として毎年推薦されるとのことだったが、1年ゼミにいて、閉じこもって研究するのは性に合わないと思った。
アルバイトで販売職をして、人としゃべる方が楽しかったのだ。
こうやって、過去を振り返って思い出したことである。
そうなのだ。
深く探求するタイプではないのである。
これは生まれ持ったものだと思う。
生まれ持ったものを変えようとしてもできないのだ。
就職する時は、売り手市場だった。
管理栄養士になるべく、学校を選び、勉強してきたのに、管理栄養士になろうとは思わなかった。
周りも銀行などに就職する人が多かった。
管理栄養士の求人もごくわずかだったので、管理栄養士として就職した人はほとんどいなかった。(その後何年かして、やはり管理栄養士として仕事をしたいと転職した人は多い)
これも、当時を思い出していて思い出したことなのだが、就職する時に
「夢を与えられる仕事がしたい」
と思っていた。
そして、女性でも一人前に仕事ができる会社に就職したかった。
そのころは、女性はお茶くみ、コピー取りして、寿退社(結婚退社)という会社も多かったのだ。
もちろん、今のような育休制度などない。
結局、旅行用品や海外のおみやげ物を扱っている会社に決まった。
女性が活躍していること、そして、社長がこの人についていきたいと思えるほど魅力的だったのだ。
そうして、楽しかった大学生活も終わった。
つづく
過去記事↓
私はどうやってできたのか①
私はどうやってできたのか②
私はどうやってできたのか③
何か手に職がつく学科に行きたいと思った。
そこで選んだのが、栄養士だった。
栄養士資格がとれる大学は何箇所があったが、栄養士の上級資格として管理栄養士があった。
どうせなら上級資格がいい、と思い、管理栄養士資格がとれる大学に入った。
管理栄養士も今は国家資格となり、国家試験を受験し合格しないといけない。
しかし、私の入学した年まで、管理栄養士養成機関で勉強したら資格がもらえたのだ。
大学は1年から専門科目があり、調理実習などもあった。
大学の授業は忙しかった。
ほぼ毎日、一日授業や実習などがある。
3年では午後は何らかの実験実習があった。
生化学実習では、ラットを飼育して解剖する実験もあったのだ。
カビを培養したり、添加物を抽出したりする実験もあった。
実習実験が多いということは、レポートも多かった。
実習実験ごとに必ずレポート提出があったのだ。
図書館にはよく通った。
いろいろな文献を調べたりしたものだ。
レポートをよく書いたおかげで、
目的→方法→結果→考察→新しい実験
という思考回路が頭の中に出来上がった。
授業には真面目に出ていた。
真面目な学生だったのだ。
授業は前の方でよく聞いていたし、ノートをとるのがうまかった。
そのころはなかったが、授業ノートを売れるくらいなものだったと思う。
テスト前には、いつも友達に貸してあげていた。
大学には毎日お弁当を持っていっていた。
しかし、お腹が空く。
おやつに、学食でラーメンを食べていた。
若い頃は大食いだった!
友達も大食い友達だった!
友達に誘われ、サークルにも入った。
テニスのサークルだった。
コンパサークルではなく、結構まじめに練習しているサークルだったが、授業が忙しいこともあり、あまり参加していなかった。
時々合コンにも行った。
合コンがきっかけで付き合うことはなかったが、日付が変わってもお酒を飲んだりおしゃべりしたり、楽しかった。
ただ、自分を好きになれず、自己肯定感の低さに悩むことが多かった。
そんな記事が出ている雑誌をよく買っていたように思う。
4年には、学外実習があった。
病院での実習の時、私は何も考えていなかったが、しんどい方の仕事を続けてしていたようだった。(自覚はなかった)
その時、調理師さんがおっしゃった言葉を今でも忘れない。
「がんばっていることは、必ず誰かがみている!」
4年では、忙しいといわれているゼミに入った。
そのゼミの研究テーマがおもしろそうだったからだ。
毎日、研究室に通った。朝から夜まで(といっても7時半くらいまで)実験していた。
パンの研究をしていたので、毎日パンを焼いて、パンをコピー機に並べコピーをとり、試食をしていた。
そのころ、パンについてはうるさかったと思う。
「このキメは・・・」
「弾力が・・・」
「粘り気が・・・・」などなど
就職する段になって、そのゼミからは大手メーカーに研究職として毎年推薦されるとのことだったが、1年ゼミにいて、閉じこもって研究するのは性に合わないと思った。
アルバイトで販売職をして、人としゃべる方が楽しかったのだ。
こうやって、過去を振り返って思い出したことである。
そうなのだ。
深く探求するタイプではないのである。
これは生まれ持ったものだと思う。
生まれ持ったものを変えようとしてもできないのだ。
就職する時は、売り手市場だった。
管理栄養士になるべく、学校を選び、勉強してきたのに、管理栄養士になろうとは思わなかった。
周りも銀行などに就職する人が多かった。
管理栄養士の求人もごくわずかだったので、管理栄養士として就職した人はほとんどいなかった。(その後何年かして、やはり管理栄養士として仕事をしたいと転職した人は多い)
これも、当時を思い出していて思い出したことなのだが、就職する時に
「夢を与えられる仕事がしたい」
と思っていた。
そして、女性でも一人前に仕事ができる会社に就職したかった。
そのころは、女性はお茶くみ、コピー取りして、寿退社(結婚退社)という会社も多かったのだ。
もちろん、今のような育休制度などない。
結局、旅行用品や海外のおみやげ物を扱っている会社に決まった。
女性が活躍していること、そして、社長がこの人についていきたいと思えるほど魅力的だったのだ。
そうして、楽しかった大学生活も終わった。
つづく