先日ある方が

「ヒトラーを尊敬している」

とおっしゃっていました。



人間のエゴ(支配欲・自己顕示欲などのあらゆる欲望すべて)を

あんなに丸出しにした純粋な人はいないという意味で、尊敬している

とのことでした。



あえて誤解を怖れず、そんなことを言えることにも人としての大きさを

感じましたが、ヒトラーをそのように解釈するということにも

感動しました。



ヒトラーというと

極悪非道の人間として最低最悪の悪者

という見方がほとんどだと思います。

確かに行ったことはそうなのでしょう。



しかし、そういう観点にはまってしまうと

それ以外の視点というものを全く失ってしまうように思います。



私たちは、ヒトラーよりはるかにましな人間だと思っているかもしれません。



しかし、アリの巣コロリで、アリの巣を全滅させたりします。

アリはよくて人間はだめなのでしょうか。



アリの巣コロリは使わなくても、人間たちの環境破壊によって

多くの動物生物が住みかを追われ、絶滅の危機に瀕しています。



神様の視点から見れば、人間を大量虐殺するのもアリを大量虐殺するのも

同じかもしれません。



誤解しないでいただきたいのですが

ヒトラーのしたことを肯定するわけではありません。



人としてするべきではないことをしたと思いますし、

批判されて当然だと思います。





ただ、ある一面が強烈であればあるほど

その一面しかみない傾向にあるのではないでしょうか。



人は自分の周りの人を「こういう人だ」

とついレッテルを貼りがちになってしまいます。



人はもっと多面的で繊細な部分もたくさんあると思うのです。



そのような部分を探してみることによって

コミュニケーションは変わってくるのではないでしょうか。



そして、批判をする時にははたして自分はどうなのだろうか、

と振り返る癖をつけてみたいと思います。



何を批判しているのか、

なぜ批判したくなるのか、

批判して自分は何を得ているのか

そういうことにも意識を向けていくと、

また違った側面が見えてくるかもしれません。