男の徒然  幸せの法則


常々思ってるのだが

日本語って本当に深い言語だと思う

似たようなニュアンスを伝える単語だけど違う意味をもったりする

それが深い意味でもあり勘違いを起こしたりもする  格言2


日本語の難しい話は他に譲るとして

最近感じるのは

自由である理想像って主観だよね ・・・・って事 ポイント


もちろん全ての人は自由に生きたいと思ってる

でも社会生活で全てに自由である事など不可能

ってゆーかそもそも自由ってどういう事なんだろう はてなマーク


思い通り って事なんだろうか?

好きな事だけしてれば自由なんだろうか?


なにをもって「自由」と呼ぶのかは人それぞれの主観なんだよね

人によって自由の定義って違うものなんだ

つまり

自分の価値観に正直に生きる

って事なんじゃないかな?


社会生活において自分の価値観で全てを行うのは無理だけど

そんな中でも自分に正直に生きていく事

それが自由なんじゃないかと思う 自由の女神


昨日の記事の続きみたいな話なんだけど

 リンク 誠実であると言う真実

いかに自分を認識出来てるか?

どれだけ自分に正直に生きていかれるのか?


勘違いしないで欲しいのは自由である事と勝手に生きる事の違い

自由である事は自分自身の生き方で哲学の部類だと思う

その自分の価値観を他者に押し付けてしまうと

勝手な行動 になってしまう ポイント


哲学は単純に内省の話

それを他者に強要すべきではないし

生き方として自分が持っていればいい事


社会生活において自分の価値感を押し通すのは暴君だけ

まぁジャイアンみたいなものだね(笑)

 参考記事はこちら リンク  不愉快の原因


よく見かける勘違いもある

自分意外の価値観に大きく影響を受けて違う自分を作り上げ

その植えられた価値観が自分だと本気で誤解してる人


子供の頃、まだ自分の世界観が発展途上だった頃 boy

親の価値観に従って、親にとってのいい子を演じていたりする

本当は遊びたいのに親の価値観でおとなしいイイ子をやっていたりする

子供の時はそれで構わないのだが

まれに成人してもそのままな人が居る


大人になる段階で自分の世界観は出来上がっているのに

その認識が出来ていない為

他者の価値観で生きようとする

それが誰かの為になる、という理由を用意して

自分を抑え演じながら生きている人


本人は認識がないのでわかっていないが

たいていの場合周囲の人達は「違うだろ~」と思ってる

ところが本人はそれを認識出来ない

でも本質的に自分の価値観で生きていないので

いろんな場面で不整合に苦しんだりする

これが鬱の状態・・・  鬱


自分の正直に生きる  ってのは難しいんだ

社会において自分意外の価値観を受け入れなきゃならない場面は多い

出来るだけ少ない方がいいけど

仕事とか家族とか

違う価値観はどうしても必要になる


なので自分の中だけでも自分を認識して置く必要があると思うんだ

自分はこうやって生きていきたいという正直な欲求

これが叶うかどうかは別の話で

自分がどうしたいのか?

その認識だけは持って居たい


社会生活はしていかなきゃならない

でも自分の中だけは正直に誠実に自分を評価認識する事

それが現代に生きる上での自由なんじゃないかと思う  武士


自由とは  :  自分の本心を認識して生きる事

勝手とは  :  自分の欲求のままに生きる事


なのだと思う

難しい違いなんだが

日本語ってちょっと似てるけど違う意味ってのは沢山ある

あくまで個人的な解釈なんだけど


まぁ、これも自由な発想と言う事で・・・・(笑) 侍