こんにちは
夢ロマン子守熊です。
ご覧くださり、ありがとうございます。
先日は、熊本地震への義援金のご協力
ありがとうございました。
夫が、鹿児島空港から車で熊本県益城町へ入り、
無事に教育長へ募金を手渡してきました。
「こんなに遠くから…」と
目頭を抑えていらしたそうです。
熊本では、
八代市在住の方が
夫の案内をしてくださいました。
道路が寸断されていたり、
渋滞していたりするため、
現地の方のの案内がとても助かりました。
その方から、
メッセージをいただいています。
一部ご紹介いたします。
「その行動の早さと想いに感謝の言葉が見つかりません。
大きな被害を受けたと報道された益城町へ。
言葉を失くしました。
ここは本当に熊本なのか。
信じられない光景が次々と私の平常心を壊していきました。
辛い現実をまざまざと目の当たりにして、
大きな衝撃とどこにぶつけていいかわからない悔しさを感じ、
涙が止まりませんでした。
しかし、
益城町役場周辺には
明るく前を向いてお互いに支援物資を分け与え、
支え合う町民の皆さんの姿がそこにはありました。
インターから空港を繋ぐ大動脈の道路は
既に整備が整いつつありました。
重機を操る方々の額に汗する
真剣な表情に勇気をもらいました。
正直、励ましに来たはずの自分たちの方が励まされました。
あたたかかった。
隆起や地割れの酷い道路を慎重に走り、
辿り着いた災害復興本部。
教育長に経緯を説明し、
固く握手を交わし、
皆さんが託してくれた想いを
伝えることができたと思います。
教育長は目頭を熱くされ、
とても喜んでくださいました。
「こんなに遠くからも応援していただけることが本当に有難い」と
深く、深く、感謝の言葉を述べてくださいました。
本部には自衛隊の隊員、
他県から
(九州だけでなく、中国・関西エリアも)の
自治体スタッフが
支援物資の手配や緊急事態対応で
懸命に動いておられました。
道中、パトロールしているパトカーには
広島県警、京都府警など、
多数の県外からの応援が
見受けられました。
その後、
途中で購入した支援物資を
嘉島町の支援物資本部に届け、
温かい感謝の言葉を頂きました。
こちらでも続く避難生活の最中、
笑顔で走り回る子どもたちの姿に
元気をもらいました。
長々と記しましたが、
ここにはまだまだ書ききれない思いと事実があります。
現地を訪れ、
分かったことの一つは
「支援物資は予想以上に届いている」
ということです。
ただ、
そのバランス(分配)が難しく、
メディアで多く報道される益城町には
余る程多くの物資がありますが、
嘉島町や御船町、その他、
避難場所として指定されていない170箇所の場所
(避難場所の収容人数オーバー、
避難場所が倒壊して使用不可、
子どもが泣いて迷惑をかけるから、
と遠慮して移るなど)に
うまく配分されていない現状があるようです。
今後、ボランティアの募集が
開始されると思いますが、
『人的支援』が一番必要だと感じます。
現地の混乱の最中、
多くのスタッフの方が
必死に被災者を支えています。
その割り振りを指示する司令塔の役割の方も
精一杯の努力をされています。
でも、圧倒的に数が足りないのです。
いち早く余震がおさまり、
ボランティア活動が開始される日を願ってやみません。
県外から「何かできることはある?」と
有難い励ましの言葉をいただきますが、
物質的支援は予想以上に事足りていることから、
具体的には義援金(募金)や
一次産業の盛んな熊本県産の食料品を購入していただいたりと、
『募金と経済的な支援』をお願いしたいと考えています。
そして、
桜丘が行っている震災復興支援活動を
是非熊本にもお願いしたいです。
中学・高校生にしかできない、
"人のぬくもり"に頼りたいです。
願わくば、
これから数ヶ月、数年とかかるであろう復興にあたり、
継続的なご支援をお願い致します。
そして、よろしければ是非、
熊本に観光で訪れていただければ嬉しい限りです。
毎日、励ましのメッセージを送ってくれる全国の皆さま。
本当に、本当にありがとうございます。
その一言一言が、大きな大きな力になります。
八代は夕方から大きく不安が襲ってきています。
ここ数日、緊急速報にも載らない
不気味な揺れや地鳴りがありましたが、
ついに動き出したようです。
昔から住み慣れた街並みが
別の場所に感じます。
言い知れぬ恐怖感で
外には大勢の避難車やテントがあります。
異常事態です。
そんな中、
皆さまからのメッセージを見返して強く励まされます。
本当にありがとうございます。 」
長くなりました。
夢ロマン子守熊です。
ご覧くださり、ありがとうございます。
先日は、熊本地震への義援金のご協力
ありがとうございました。
夫が、鹿児島空港から車で熊本県益城町へ入り、
無事に教育長へ募金を手渡してきました。
「こんなに遠くから…」と
目頭を抑えていらしたそうです。
熊本では、
八代市在住の方が
夫の案内をしてくださいました。
道路が寸断されていたり、
渋滞していたりするため、
現地の方のの案内がとても助かりました。
その方から、
メッセージをいただいています。
一部ご紹介いたします。
「その行動の早さと想いに感謝の言葉が見つかりません。
大きな被害を受けたと報道された益城町へ。
言葉を失くしました。
ここは本当に熊本なのか。
信じられない光景が次々と私の平常心を壊していきました。
辛い現実をまざまざと目の当たりにして、
大きな衝撃とどこにぶつけていいかわからない悔しさを感じ、
涙が止まりませんでした。
しかし、
益城町役場周辺には
明るく前を向いてお互いに支援物資を分け与え、
支え合う町民の皆さんの姿がそこにはありました。
インターから空港を繋ぐ大動脈の道路は
既に整備が整いつつありました。
重機を操る方々の額に汗する
真剣な表情に勇気をもらいました。
正直、励ましに来たはずの自分たちの方が励まされました。
あたたかかった。
隆起や地割れの酷い道路を慎重に走り、
辿り着いた災害復興本部。
教育長に経緯を説明し、
固く握手を交わし、
皆さんが託してくれた想いを
伝えることができたと思います。
教育長は目頭を熱くされ、
とても喜んでくださいました。
「こんなに遠くからも応援していただけることが本当に有難い」と
深く、深く、感謝の言葉を述べてくださいました。
本部には自衛隊の隊員、
他県から
(九州だけでなく、中国・関西エリアも)の
自治体スタッフが
支援物資の手配や緊急事態対応で
懸命に動いておられました。
道中、パトロールしているパトカーには
広島県警、京都府警など、
多数の県外からの応援が
見受けられました。
その後、
途中で購入した支援物資を
嘉島町の支援物資本部に届け、
温かい感謝の言葉を頂きました。
こちらでも続く避難生活の最中、
笑顔で走り回る子どもたちの姿に
元気をもらいました。
長々と記しましたが、
ここにはまだまだ書ききれない思いと事実があります。
現地を訪れ、
分かったことの一つは
「支援物資は予想以上に届いている」
ということです。
ただ、
そのバランス(分配)が難しく、
メディアで多く報道される益城町には
余る程多くの物資がありますが、
嘉島町や御船町、その他、
避難場所として指定されていない170箇所の場所
(避難場所の収容人数オーバー、
避難場所が倒壊して使用不可、
子どもが泣いて迷惑をかけるから、
と遠慮して移るなど)に
うまく配分されていない現状があるようです。
今後、ボランティアの募集が
開始されると思いますが、
『人的支援』が一番必要だと感じます。
現地の混乱の最中、
多くのスタッフの方が
必死に被災者を支えています。
その割り振りを指示する司令塔の役割の方も
精一杯の努力をされています。
でも、圧倒的に数が足りないのです。
いち早く余震がおさまり、
ボランティア活動が開始される日を願ってやみません。
県外から「何かできることはある?」と
有難い励ましの言葉をいただきますが、
物質的支援は予想以上に事足りていることから、
具体的には義援金(募金)や
一次産業の盛んな熊本県産の食料品を購入していただいたりと、
『募金と経済的な支援』をお願いしたいと考えています。
そして、
桜丘が行っている震災復興支援活動を
是非熊本にもお願いしたいです。
中学・高校生にしかできない、
"人のぬくもり"に頼りたいです。
願わくば、
これから数ヶ月、数年とかかるであろう復興にあたり、
継続的なご支援をお願い致します。
そして、よろしければ是非、
熊本に観光で訪れていただければ嬉しい限りです。
毎日、励ましのメッセージを送ってくれる全国の皆さま。
本当に、本当にありがとうございます。
その一言一言が、大きな大きな力になります。
八代は夕方から大きく不安が襲ってきています。
ここ数日、緊急速報にも載らない
不気味な揺れや地鳴りがありましたが、
ついに動き出したようです。
昔から住み慣れた街並みが
別の場所に感じます。
言い知れぬ恐怖感で
外には大勢の避難車やテントがあります。
異常事態です。
そんな中、
皆さまからのメッセージを見返して強く励まされます。
本当にありがとうございます。 」
長くなりました。