人は物を食べるときに

言葉も一緒に食べている




極端な例を言えば、

○○産の牛だから美味しい



こういう場合は

○○産の部分も含めて食べて

(実際は食べてない場合でも評価されるかもしれないけれど)

評価していることになりますよね?




そう思うと、

野菜ソムリエにとどまらず、

食品を扱うすべての人に

言葉に対する大きな責任があるわけです。




そんなとき、

アルフレッド・コージブスキー

をよく思い出します。




四季折々の菜摘歌(なつみうた)-料理




私は率直にものを言うほうなのですが




本当に伝えたいことが

その人に伝わっているか

心細くなることがあって




言葉を選んでいるうちに

時がすぎてしまうことがあります。




たった一人に

たった一つのことが

伝わればいいだけなのですが。。。




言えなかったり。




たぶん

うまく伝わっていなかったので、

書いておきます。



とても美味しい時間を

ありがとうアップ




一緒に食事をした

あなたの言葉も

いただいています。






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