前に書きました
日記の日記について…
先日あと一年間は少なくとも使わないからって
何気なく教科書とかノートとか整理してたら
出て来た
自分が付けてた日記
なんとなく自分の状況を把握するために書いてた
受診記録がいつの間にか日記に変わってっただけなんだけど(笑)
何気なく読み返してみたら
心がすごく乱れてた事がわかった
日記って夏休みの宿題とかでしかやったことなかったから
最初の頃は
いつ退院出来るかなーとか
早く学校行って勉強したいなーとか
ここわからないんだけどなー
とかそんな事しか書いてなかったんだけど(苦笑)
そのうちなんとなく今日はこうだった…とか
誰々が来てくれてちょっと嬉しかった…とか
側にいてくれるだけがこんなにありがたい事だと思わなかった…
とか書いてあった
けどね?
読み進めてるうちに毎日字が違うの。
元気のない字
天気の良い日の字
ちょっと嬉しい事あった日の字
それから
イライラしてる字
面白いよね。
全部自分の字なのに毎日違って
体調とリンクしてるの(笑)
それでね?
退院前日の日付
しかも夜中から書いてる
A4のレポート用紙に
すっごく細い字で
紙の端から端までいっぱいいっぱいに
10枚に渡る書き物( ̄▽ ̄)
自分整理してたみたい
イライラも自分の思いも全部ぶつけてあって
今まで何考えながらいたのかとか
それがなんだったのかとか…
そこにはね
泣いた形跡もあった(笑)
泣きながら5時間も書き続けてたみたい(笑)
今読み返すとちょっと笑える
それからちょっと深い?
ってか理解不能?(笑)
なんかねー
個室に隔離されて心乱れてたみたい(笑)
マイコプラズマにも感染してて喘息発作で入院した時の話(ー ー;)
この時、朝なんとなくヤバイ気がして
一度学校行ったんだけど
何かを感じて…
自分の勘を信じて授業始まる前に受診することに決めた。
病院着いた時にはもうしゃべることすらできなくて…
顔面蒼白( ̄▽ ̄)ギリギリ歩いてたー!
事務さんも気付くくらいの…
で、ささっと診察。
入院話チラつかせた先生。
困惑気味のなー…
とりあえずそんなこんなの話の前に早く入れようと一本。
テオドリップ200mg+クレイトン500mg+リンデロン4mg
まぁ状態変わらずかろうじて話ができるようになった位…
入院を再三勧められ…それでも拒否
いやっね?やじゃん?
とりあえずいれてもらって学校に戻って
チアノーゼガンガンで授業受けて…
横で友達もすごい顔してた…
解剖生理学の先生に何度大丈夫ですか⁉と聞かれたことか( ̄▽ ̄)
必死に授業受けたノートは何が何だか…
まぁ担任にも何で戻ってきたのよ⁉
ってキレられて…
自分の限界も超えていた。
入院覚悟で病院逆戻り(ー ー;)
救急外来でも見栄張ってSpO2 95% 185
ほんとに発作かな???と看護師さん。
だけど処置室にすぐ連れてかれて
モニター付けられながら先生と話して…
朝と同じ点滴してネブライザー二回目して
気抜いてしばらくしたら…
先生達がやばいやばいって言いながら
処置室に入れ替わり立ち替わりパタパタ…
ん?と思ってモニター見たら
心拍数283((((;゚Д゚)))))))
あいやー(´・_・`)
確かにそりゃあかん!!
で、みるみるうちに酸素が一気に落ち始めた…
で覗いた研修医がギョッとしてたー(-"-;)
研修医)えっまって…ちょっと!先生ー‼
内科医)なに?どうしたの?…えっちょっ先生‼やばいって‼ステロイドいれたの⁈呼吸器の先生コールした⁈
研修医)しました!指導医の先生にも‼…ステロイドもクレイトン500とリンデロン4mg‼
内科医)酸素!酸素今は⁉
研修医)Σ(゚д゚lll)さっきまで95%あったのにー‼あー(°_°)先生ー81%…79%まで下がってきましたー(゚д゚lll)
内科医)ちょっと!先生‼酸素酸素‼酸素いれなきゃっ‼
その頃のなーは
えー79%ってやばい?やばいよねー?大丈夫なんだけどなー…帰れるかなー…
とか思ってたwww
看護師)酸素しよーねー‼吸ってねー‼くるしーねーヽ(´o`;←いやっ…苦しくないかも???
そこに呼吸器ドクター登場…
呼吸医)…え?79%230?…意識あるの?あーそー(^_^;)今は酸素いれて?85%?んーちょっとあげようか…それと…とりあえずICUベッド聞いてー?んーもう一本点滴同じの入れて、ネブライザーもして?え?歩けるって言ってる?あらー…
呼吸医)朝もT先生(主治医で部長)に入院何回も勧められてるみたいだし、今日はお泊まりね?
なー)…
呼吸医)今晩はICU明日様子見て移動かな…それにしても良く大丈夫だね(^_^;)普通の人なら挿管考えてる状況なのにねー( ̄▽ ̄)
と言われながらの入院決定した…って言う経緯。
用意できるまでは入院書類書き書き…入院かぁ…(・_・;)
アレルギーの多さに先生パニック。
書類借りてっていい?だめ?じゃあ…
と、手にメモメモ…前腕部にも到達…(苦笑)
ちなみにICUで酸素しながらSpO2 80%まで落ちて
看護師さんに起きてー!頑張って酸素吸ってー!頑張ってー!って叩き起こされて…
うるさいっ寝かせろやっ寝ろって言ったべ!呼吸するの疲れたんよ(つД`)ノ
って丸まりながら思ってたっていうwww
流血事件も勃発。
気付いたら床が血まみれ…
ナースコール連打してしまった(;´Д`)ノ
看護師さんのほほんと来て…
Σ(・ω・ノ)ノ!あかん!誰か来て。ティッシュも!とナースコール。
…鼻血が出ててすごいことに…
しかも酸素が93%から一気75%に落ちた…
うん。。これはビビる。
だって…殺人現場並みの血の海。←見たことないけど…
血圧230/185 心拍数213 SpO₂81%
ナザールの中は血でいっぱい…
交換してもらってSpo₂91%になると
血圧も158/80脈拍も137で落ち着いて…
とりあえず鼻血の処理開始…
顔とか手とか拭いてもらって…
また丸まっておとなしくしてた…
いやっ…ずっとおとなしかったんだけどね?
で、丸まり方がタンチョウぽかったと翌朝突っ込まれた。
まぁ翌日歩くと80%まで落ちてたけど
安静時は90%キープしてたから
わがまま言って酸素とってもらった( ̄▽ ̄)
「気合で上げるからこれ取って-‼」
酸素取ると85%…
ほら!下がってるよ!気合で上げる?酸素する?
…意地でも頑張るよね(笑)93%。
血圧も下がりに下がって91/45
脈拍も130台で安定してるからと病棟移動。
したのは良いんだけど…
夕方に再度大発作…(´・ω・`)
再度会話困難な発作起こしたのは言うまでもないけど…
お薬倍増…。(´д`lll)
そんな状態で発作発作なのに3日目についに…
入浴させろ!と要求(笑)
日曜日だし…無理かも…と言いながら当直確認。
当直が外来の主治医で呼吸器科の部長さん。
女の子だもんね?と点滴・吸入した後ちょっとなら!とOK。
その代り色んな検査もさせて?と。
いや…良いけど…なんだ?その交換条件…
検査は…血液検査とかレントゲンとかCTとか…
どうも注射…痛いこと苦手だと思われていたらしい…
全部一気にやるから…といわれた。
その検査の結果、原因が発覚…
マイコプラズマでした…(;^ω^A
で、そのまま隔離された…
結局、一週間かけてステロイドも減量してきたんだけど
退院するかしないかの瀬戸際でマイコに関わらず発作頻発。
天気も悪くなるし状態安定しないしまた発作…
薬剤変更…増量強化。。
ソルメドロール1000mg/dayを3.5日のパルス療法…
いやっ、これでそこそこよくはなりました…うん。
で、その時の日記にこんなような事書いてある…
完璧じゃなきゃいけなかった
自分の事は何でも自分でしなきゃいけないと思い込んでた
人に頼ることはいけないことだと思ってた
どうせわかってもらえない
心配されて申し訳なく思って大丈夫って無理して
でもなんとなく安心してる自分がいて
だけどもう頑張れない
そう思ってる自分が無性に恥ずかしく思えてきて
情けなくて悲しくて
でもね
もっと辛い人は世の中に沢山いるから
だからまだ頑張れる
苦しいのは自分が甘えてるから
本当は苦しくないのかもしれない
けど何故か…
どうしても甘えてしまう自分がいて
それがまた恥ずかしいことで
甘えてる自分はもっと強くならなきゃいけない
完璧じゃなきゃいけない
完璧でいなくちゃいけない自分を作り上げる事に必死なってた自分がいた
1人でも大丈夫
そんなに弱くない
なんでも出来る自分を造り上げる事に必死になってる自分がいた
でもわかってくれる人(←多分その当時の主治医?か知人?)がいて
素直になってた自分がいた
だからここからまた頑張れる
もう少し自分頑張れるから
いつも肝心なことは自分で決められないのは
勇気がなかったから
でもね?
素直になりきれない自分を分かってくれて
納得できる結論が出るまでじっと待ってくれた人(←友達)がいて
結論は出てたけど素直になれない自分が先延ばしにしてただけ
あの日されるがままの自分にはもう意思はもうないのに
妙にはっきりした意識だけがそこにあって
内容全て分かってるのに反応出来なくて
自分の身体だけが別物になって
でも動かせてる不思議な感覚に捕らわれてたのははっきりと覚えている
なのにね
これ以上の迷惑をかけるわけにはいかない
って思ってる自分もそこにいた
誰が…とかではないけど
どこか人を信用してない自分がいた
約束破られてもやっぱりって思ってる自分がいた
わがままは言っちゃいけない
自分がわるいんだから
辛くてもしんどくても甘えちゃいけない
ただでさえ迷惑かけてるんだから
“ただの喘息なんだから”
何も知らない子どもじゃないんだから
何も知らない一般人じゃない(←いや一般人なんだけど…そういう風に扱ってもらえなかったんだ…)
自分の病気も薬も知ってる(←知らざるを得ない状況だったから)
けど上手くいかないことが沢山ありすぎて
落ち込んでふてくされて
でも自分は理解しなきゃいけない
わがまま言える立場じゃない
大丈夫大丈夫ってわざと明るくして物わかりのいい子になろうとしてた
理解しなきゃいけない
理解してなきゃいけない
でも些細な事からイライラが募ってひたすらボールペンで線を書き続けて
でもね?
はじめて大丈夫?って聞いてくれた人がいて…
ある人の顔見てついに崩れた
イライラを打ち明けてみて納得いかないこと
不安とか不満とかどうにもならない自分がいることを打ち明けてた
〝もっと自分の感情に素直になってもいんじゃないの?″
〝もっとわがままになってもいんじゃないの?”
って言われて
あふれた涙は止められなかった。
理解しようと思っても抑えきれない自分がそこにいて
たまたま来た助手さんと看護師さんに訳を聞かれて
また泣きながら話し始めて
ちょっとスッキリしたら放心状態の自分がいた
それもまた整理しようとしてた
そこで初めて自分が思ってること素直に伝えられた
冷静で居られない自分が恥ずかしいのにもうとめられなくて
とりあえず崩壊した自分を冷静に戻すために点滴ながめながら
それで楽になってる自分の身体に裏切られてることがまた情けなくなってきて
泣きわめいたことも恥ずかしくて
もうそれから先は何を言われても聞かれても
自分の状況を理解するのに必死で
「ごめんね?忙しいからって早く伝えてあげるべきだったよね?」
どんな言葉をかけられても言葉なんてどうでもよかった
右から左にしか流れていかない
自分を保つのが精一杯
今まで築き上げてきた自分はもうそこにはいなくて
今自分が崩壊してることを理解するのにいっぱいいっぱいになってた
冷静さが戻ってきて聞いてくれた人に謝ってた
冷静になった自分がまた恥ずかしくて
だけど辛くても笑える自分がいるって事だけで自分を保ってて。
自分探しにウロウロ
自分を分かろうと
日常に近付こうとして歩いてみたら全く歩けなくなってて落ち込んむ自分がいた
そんな時に疲れてるはずなのに一緒にいて話聞いてくれる人が居て…側に居てくれるだけで嬉しかった
忙しいのにわざわざ来て一緒に整理してくれた人(←大切な人…笑)もいた
翌日。
突然全てがわからなくなった
何がわからないのかさえわからない自分
人に迷惑かけて整理してもらって
なんとなくぼーっとしてたら
理解出来てない自分がいるってことが理解できた
理解出来てない事が理解出来てきた
理解出来てない自分を理解してきた自分を理解しようと必死で。
わからないけど経緯を話して
また会った知り合いに経緯を話して(←職場だったので知り合い沢山)
話していたら入院病棟の師長にあってまた話して…
結局は理解しきれてないことを分かってもらえて先生に伝えてくれたみたい。
先生と話してなんとなく分かってきて安心した
何がわからないのか分からないって素直に伝えられて
すごく面倒だったかもしれないけど
最初から話してくれてなんとなく分かったけど分からなくて
どうでもいい質問したりしてた
納得して理解しようとし始めて
結局自分がどうしたらいいのか
ただ放り出されたことに混乱してて
限界ってなんなの?
自分次第ってどうすればいいの?
何が一般的な基準なのか…
自分の状況理解が出来てないことがこんなに怖いことなんだと知った。
今日自分崩壊しちゃった…ってメールしてた自分がいた
そんなときにもらったメール
『結局は完璧に治っての退院じゃないし、これからもこの状態が続く訳でしょ?
だから「何が」とか明確なものじゃなくてその「何か」の答え的なものが欲しかったんじゃないの?
自分の身体なんだからもっとうまく駆け引きしていかないとまだまだ人生は続くよ?
無理するのが決して正解ではないと思うから。
病気も医療も知らないことばかりだけど、一緒にいることだけは出来るから』
これが一番欲しかった答えだったのかもしれない
“何か”何か答え的なもの
その答えの何かを探していたのかもしれない
結果でもう数字でも結論決まり事でもない
“何か”が欲しかったのかもしれない
生きる意味って何?
どうして人は生きてるの?
何を求めてるの?
何かが分からないから
何がわからないのか
分からなかった
何かは何かであって
これというものではない
だから何かが欲しくて
探し回ってたのかもしれない』
…みたいなことがもっと分かりにくくて沢山書いてある
この何倍も何十倍もびっしりと書き連ねてある。
自分で自分がわからないね(笑)
…日記ってさ。
人の心みたいなものじゃん?
それが例え自分のものであっても
それは過去の自分のものであって
自分のものじゃないんだよね
この日記。
読まない方が良かったのかな…が半分。
読んで良かったな…が半分(笑)
余裕が全く感じられないの。
で、その翌日からもたまに泣いた形跡の残ってるページがあるんだけど
しばらくすると自分の身体の状態こそシビアなものの
字も内容も穏やかなになってるんだよね。
でね。
以降三回の入院の日記もえらいことになってた(笑)
でもね?
「病気も医療も知らないことばかりだけど、一緒にいることだけは出来るから」
これは本当に嬉しかったの
そのメール時もらった後はスッキリ寝られたのをいまでも覚えてる
欲しかった答えを的確にくれる人
本当に大切な人です
“何か”何か答え的なもの
その答えは結局わからないの
でもその“何か”が欲しかったんだよね
人は何を求めて何を信じて生きていくのか
何かが分からないから
何がわからないのか
分からなかった
何かは何かであって
これというものではない
だから何かが欲しくて
探し回ってたのかもしれない
ってすごく深い事書いてるけど…何言ってるんだろうね(笑)
けどスッキリした。
何かわからないものを探すのが人生なのかな?
そのあとの日記は
看護師さんに対する思いとか嬉しかった事とかも書いてあった…
不満もちょっとあったけど( ̄▽ ̄)
人を信じられない自分はが一番人を信じたかったみたい
誰かに自分を認めてもらいたかったみたい(笑)
わけのわからないものを最後まで読んでくれてありがとうございましたm(_ _)m
去年は4回、約3か月の入院で日記も沢山。
パルスも沢山。
これはまた書きます(。-_-。)
よかったらまた付き合って下さいm(_ _)m
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