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こんばんわ~音譜



梅雨があけました



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「月間ぷらざ」の姉妹誌(茨城県のタウン情報誌)



今回の特集記事は




「仁」を貫く水戸の医学


弘道館の医学館



江戸後期、水戸の弘道医学館(日本初、総合大学)で



全国に先駆けて士民への種痘が行われて



いたそうです




種痘とは、天然痘(痘瘡・とうそう)の



予防接種のこと



感染力・致死率が高く、治癒しても顔に



瘢痕(はんこん)が残る天然痘




水戸藩でも流行し、村ひとつで数百人の



死者をだすほどでした




日本のみならず、世界中を恐怖に陥れていた



感染症に猛然と立ち向かったのが



水戸藩の医師本間玄調(げんちょう)と



水戸藩第9代藩主徳川斉昭(なりあき)です




医学館の重要な任務についた玄調は



種痘に、天然痘患者の痘苗を使用していた



感覚的な気持ち悪さや人々の無知もあり



誹謗中傷にさらされていました




そんななか、本間玄調は


愛する自分の息子に、まず


種痘を行って安全性を人々に示し


種痘を広げていったそうです





その姿勢は、玄調を信頼する



当主斉昭も同じでした




1842年の大流行の際には



湊村(海沿いの那珂湊)だけで



600人もの死者を出したことを受けて



当主斉昭は




「種痘は牛痘がいいが、まだ研究ができていない



今は、人痘種痘ででも小児を救いたい



そのために人々の非難などかまっていられない」



と、人々を安心させるために


自らの子から種痘を始めていったそうです




安政のはじめには、水戸藩の種痘人口は



1万数千人にのぼり、多くの命が救われました



WHOが天然痘の世界根絶宣言を行うのは


それから200年後の1980年のことだそうです




人命を救うために奔走した先人たちの



「仁」の精神を貫いた水戸藩の医療




今回の特集は、身内が書かせていただきました



先日亡くなられた、音楽評論家で水戸芸術館長の



吉田秀和さんについての連載エッセイもあり



医療と芸術という側面から水戸を知ることができます





街のあちこちで、みかけた際には



ぜひ、お手にとってご覧いただけますと



幸甚ですニコニコ






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                   薬研(ヤゲン)