朝から果てしなく迷ってしまった・・・。

ま、遅刻しないだけマシか!うん!・・・・ん?ん??


四月一日のブログで私、


『 どうしよ、道間違えて迷ったらどうしよう!!

  ・・・・ちょ、最初から遅刻とか一番最悪なパターンですヨ!! 』


って、書きましたよね?

四月一日――・・・・昨日のブログで書いたけど、エイプリルフールだ!

はっはっは!

私、エイプリルフールで書いたこと、真にしちゃったヨ!嘘吐いてないヨ!!


・・・・と、そんなちっちゃい報告は止しましょう。本題、本題!!



今日は、私、春華の大学一日目でした!

・・・と言っても、授業は無く始業式と、英語の授業のため生徒一人一人の英語力を見極めるためのテストだけでしたが。

(だけど帰ったのは17時でした・・・(>_<))


その始業式の中で、副学園長先生から、今日は急用で出られなくなってしまった学園長先生からの、あるメッセージを読み上げて下さいました。

私が進学した大学は、キリスト教徒の学校で、ミサの練習したり聖歌を歌ったりしましす。

なので、学園長先生のメッセージは、聖書から抜粋された、ある2つの文書でした。



『地の塩、世の光』


13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられただけである。」


14「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」


15「また、ともし火をともして升(ます)の下に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。」


16「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」


この『地と塩、世の光』が最初のメッセージでした。


13節「あなたがたは地の塩である。」

14節「あなたがたは世の光である。」

15節「また、ともし火をともして升の下に置く。」

16節「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」


塩とは、今ではどこでも手に入れる物ですが、昔は手に入れることがとてもとても大変で、高価な物でした。

光もそうです。今では買いに行けば電灯も、ライトもある、すごく便利な時代です。

でも、人間に「塩になれ」「光になれ」と言っているわけではありません。


「なれ」ではなく、「自分の中にあるモノに気づかないからこそ、考えよう」


それが、人間の真理なのかもしれません。


《マタイ福音書》7章7―12節

『求めなさい』


7「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」


8「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」


9「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。」


10「魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。」


11「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」


12「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。それこそ律法と預言者である。」


この『求めなさい』がもう一つのメッセージでした。


この福音書を話した副学長先生は、「3つのことを言いたい」と言いました。


一つ目は、『意志』。

二つ目は、『愛』。

三つ目は、『行動力』。


求める、それは自分で思ったから湧き上がる心。求めたら、『何か』が与えられる。

探す、それは自分で思ったから湧き上がる意欲。探せば、『何か』が見つかる。

たたく、それは自分で思ったから湧き上がる志。たたけば、『何か』と共に、「それは」開かれる。

それは、人間の最も重要部分――『意志』です。


それが一つ目の『意志』です。


『何か』を与えるとき、例えば、自分の愛する人に与えるとき、人は無条件でそれを与えますよね?

親が子供にモノを上げるように。

パンが欲しいという子供に、親は石を上げる、そんなことは決してありませんよね?

それが二つ目の『愛』です。



少し固いですが、「等価交換」って知ってますか?

等しいモノ同士がつり合い、交換できる。一言でいえば、それが「等価交換」です。

人に『何か』を求めたり、して欲しいと望んだりするのなら、自分をそれ相応の行動をしなければならない。


人に対しても、何に対しても、行動で起こす。――それが、最後の『行動力』です。


これを聞き終わったとき、私は被災された方々のことを思いました。

私の大学は、あまり被害には遭わず、授業も予定通り来週の月曜日から授業が開始されます。ですが、入学しようとしていた人は、被害に遭われ、進学も取りやめにした――という人も居ます。

住む家が流されてしまって、『還る場所』が無い人は、ホームステイという形をとってもいます。


私たちは、《意志・愛・行動力》を持って、一歩ずつ歩んでいかなければならない――そう思いました。



最後に、聖フランシスコ 平和の祈りの一部を。


憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように

いさかいのあるところに、許しを

争いのあるところに、平和を

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光をもたらすことができますように

助け、みちびいてください