久しぶりにゆっくり本を読む時間が取れたので、
本棚にあった懐かしい小説を何気なく読みました。

吉本ばななさんの『アムリタ』です。

その中の一説に、とても共感しました。
(以下抜粋。)



本当に人を救う尊い仕事をしている男が、
ある朝交差点で世にもHなお姉さんの後ろ姿に勃起し、
さらにその日のうちに幼い娘に八つ当たりし、
妻と話し合って高次の愛に接したら、
それはみんなその人で、
その混沌が最高なのにみんな物語が好きだから、
本人もそうだから、統一されたいと願ったり、
自分をいいと思ったり悪いと思ったり大忙しだ。変なの。




うまいこと言うなぁと思いました。
さすが小説家さんですね。


私は自分が混沌としているので、
周りの人たちを見て、不思議に思っていました。

例えば、友達のきれいな女の子。
彼女は品良くきれいで、話していてもどこか透明感があり、
スイーツが好きでフィギュアスケートが好きで
ムーミンの北欧が好きなかわいい人。
男性のタイプも、誰もが納得するような
優しげで1人の女性を大切にするタイプ。


私はそんな彼女を見て、すごいなと思っています。

色々話しても、毒もなければ
歪みや混沌さが見えない。

たまーに出る“嫌い”すら、彼女のイメージ通りの嫌い。

私の知らない彼女がまだあるかも?とは思いますが、
混沌さの片鱗も感じさせないとは。

さすがに長く一緒にいると、いくら隠したって
滲みでるものがあるはずなのに。


もしかして、彼女は本当に統一された
そういう人なのかな⁈

そして、そんな風にみえる人ってけっこういます。


でも私は混沌としています。
時に高尚で、時に愛欲にまみれ、
時に我が強く、時に全て手放し許します。

統一なんて無理です。全部私ですから。

私は隠しているつもりはないのに、
付き合いの中でだんだん見えてくるからか、
猫かぶりだの、思っていたのと違うだの言われます。


でも私が思うに、人ってそんなものでは⁈

確かに私の振り幅が大きいのは認めますが、
そんなにみんなきちんと統一されているものかな⁈


一見きちんとしてそうな優しく清楚な雰囲気で、
15歳も年下や50代の男性と次々と本気で付き合い、
情熱にまかせてのめり込みながら、
ボランティアで養護施設で働き、
日々黙々と陶芸に打ち込みながら、
自然を心から愛する人

がいたら、それはそれこそがその人だと思います。

混沌さが人間らしくて愛おしいなと思います。


それとも、精神的に成長した魂は、
統一されているのでしょうか。

混沌さは未熟さの現れでしょうか。


でもなんとなくそうではないような。。


まだまだ成長過程の私にはわかりませんが、

吉本ばななさんの言うように、
“統一されたいと願ったり、
いいと思ったり悪いと思ったりで大忙し”
にならないで、

この混沌さを愛おしいんで生きたいです。