忘れてはいけない!宮嶋茂樹氏の写真集この方の写真集には友人の子が避難所で暮らしながらボランティアとして頑張ってる姿が映っている…被災地から離れて暮らしている私達の考えるべきことは…もう一度、現状を知る方のブログでいろんなことを教わる…http://s.ameblo.jp/successboss/entry-11274747038.html?frm=themeAndroid携帯からの投稿
それぞれの想い・・昨日朝、兄貴からメールがきて…『今日はShoちゃんの命日だったな…こっちも手を合わせておくから、そっちからもお線香あげといて…』ありがたい。覚えてくれている…。そっか、兄貴は忘れられないんだろうな…私は兄貴より早く結婚しましたが…その頃兄貴には心に決めた人がいて…結婚は私が先か、兄貴が先か・・だったんでしょう私達が結婚した翌年の6月9日皇太子様と同じ日に結婚式でした。私達は生まれてくる子と三人で兄貴の結婚式と田舎に帰れることを楽しみにしていました。しかし、その年の2月にShoは入院してしまい・・この先来る私の出産と、兄貴の結婚式まで退院してくれることを祈っていた・・3月になり・・Shoのところへ兄貴達が結婚前に招待状を持って見舞いにきてくれた・・「早く良くなって結婚式にきてね!」『はい。是非とも・・また500kmの旅をしながら石巻にいきます・・』そう言いながらShoは・・4月に入り・・『約束したのに・・お兄さんの結婚式行けそうにないかも・・・子供が生まれたらしばらく田舎帰ってきてもいいんだよ・・』初めて、弱音をはいた気がした。こちらにもふれていますが・・http://ameblo.jp/spring-light/entry-11197821516.htmlそれから・・2ヶ月経った6月3日Shoは天国へと旅立ちました田舎から突然の訃報に父と姉と叔母達がきてくれた。母は一番に駆けつけてくれるはずだったが、兄の結婚式が数日後に控えていたこともあり来れなかった・・・私の出産の心配と長男である兄の結婚式の準備やらで忙しい中でも、何よりも毎日のようにShoの心配で電話してくる母がいてくれたから・・大丈夫だよと言い聞かせた自分がいた。お葬式のあった次の日・・兄貴の結婚式だった・・Shoが亡くなったことは家族と身近な親族のみが知ってた・・皆が妹である私達夫婦が披露宴でいないことに気付いたのはShoからのお祝い電報が読み上げられてからだったという・・『・・・約束したのに・・・行けなくてごめんなさい。』 天国からの祝電だった・・今は亡き両親ですが・・あの時の複雑な心境・・凄く辛かったんじゃないかと母になってわかった気がします。兄貴はShoの命日を覚えててくれた・・私は兄貴の気持ちをお墓にいって伝えてきましたありがとうの感謝の気持ちと共に・・そして、母の日辺りからケンカして家で食事も摂らないぴーのことも・・こんなに長い間ケンカしたのは初めてです!しばらくブルーが入っていた私でしたが、今日は仕事から帰ってきて普通に夕飯作って「できたよ~」っていったら、食卓へ向かってきた!20日振りにぴーと食事を共にした・・お互い無言だったけど^_^;ぴーに想いを伝えてくれたのかな・・
「六月の鯉のぼり」を聴きながら…長渕剛氏が何度も足を運んだ宮城、石巻の風景を綴った「六月の鯉のぼり」聴かれましたか?私はアルバムを予約しておいたので発売と同時に買いに行き、ずーっと聴いております…聴いて涙と共に思い浮かべるのはやはり大津波に襲われた故郷です…遠く離れた場所から四角い枠の中の映像でしかみることができなかった東日本大震災…一人一人が計り知れない辛く悲しい想いや切なく悔しい経験をされている…言葉で簡単に言えても、あの凄まじい光景を目にした人にしかわからない沢山の思いを抱え今日も頑張っている…まだ終わっていない毎日…被災地の現状を伝えて下さっているたくさんの方の中から、長渕剛氏が現地を訪れ発した言葉を載せている方のブログを紹介します中井政義氏 『東日本大震災を風化させない活動推進センター』http://profile.ameba.jp/successboss/(うまく貼り付けできなくて申し訳ありません<(_ _)>)一度訪問してみてください・・・長渕剛氏が今回のアルバム「Stay Alive」に書き綴った数々の想いがこの方のブログからも伝わると思います・・感じると思います・・そして何よりも『東日本大震災を風化させない』風化させてはいけない!っていうことで日々活動に励んでいる方がいることを全国の皆さんに知っていただきたい想いでここに載せさせていただきました…「六月の鯉のぼり」を聴きながら…Android携帯からの投稿