昨日朝、兄貴からメールがきて…

『今日はShoちゃんの命日だったな…
こっちも手を合わせておくから、そっちからもお線香あげといて…』

ありがたい。

覚えてくれている…。


そっか、兄貴は忘れられないんだろうな…

私は兄貴より早く結婚しましたが…

その頃兄貴には心に決めた人がいて…


結婚は私が先か、兄貴が先か・・だったんでしょう

私達が結婚した翌年の6月9日皇太子様と同じ日に結婚式でした。


私達は生まれてくる子と三人で兄貴の結婚式と田舎に帰れることを楽しみにしていました。

しかし、その年の2月にShoは入院してしまい・・この先来る私の出産と、兄貴の結婚式まで退院してくれることを祈っていた・・

3月になり・・Shoのところへ兄貴達が結婚前に招待状を持って見舞いにきてくれた・・

「早く良くなって結婚式にきてね!」

『はい。是非とも・・また500kmの旅をしながら石巻にいきます・・』


そう言いながらShoは・・4月に入り・・

『約束したのに・・お兄さんの結婚式行けそうにないかも・・・子供が生まれたらしばらく田舎帰ってきてもいいんだよ・・』

初めて、弱音をはいた気がした。


こちらにもふれていますが・・

http://ameblo.jp/spring-light/entry-11197821516.html

それから・・2ヶ月経った6月3日Shoは天国へと旅立ちました


田舎から突然の訃報に父と姉と叔母達がきてくれた。

母は一番に駆けつけてくれるはずだったが、兄の結婚式が数日後に控えていたこともあり来れなかった・・・
私の出産の心配と長男である兄の結婚式の準備やらで忙しい中でも、何よりも毎日のようにShoの心配で電話してくる母がいてくれたから・・大丈夫だよと言い聞かせた自分がいた。

お葬式のあった次の日・・


兄貴の結婚式だった・・

Shoが亡くなったことは家族と身近な親族のみが知ってた・・


皆が妹である私達夫婦が披露宴でいないことに気付いたのは

Shoからのお祝い電報が読み上げられてからだったという・・


『・・・約束したのに・・・行けなくてごめんなさい。』


               天国からの祝電だった・・


今は亡き両親ですが・・あの時の複雑な心境・・凄く辛かったんじゃないかと母になってわかった気がします。

兄貴はShoの命日を覚えててくれた・・

私は兄貴の気持ちをお墓にいって伝えてきました


ありがとうの感謝の気持ちと共に・・

そして、母の日辺りからケンカして家で食事も摂らないぴーのことも・・


こんなに長い間ケンカしたのは初めてです!しばらくブルーが入っていた私でしたが、


今日は仕事から帰ってきて普通に夕飯作って「できたよ~」っていったら、


食卓へ向かってきた!
20日振りにぴーと食事を共にした・・お互い無言だったけど^_^;


ぴーに想いを伝えてくれたのかな・・