では、話す相手がいない場合、母のように妄想の作り話を誰かに聞いてもらうことで、自分を悲劇のヒロインとして成立しているような人はどうなるのだろうか?
自家中毒を起こすのかしら?
私は幼いころから母の話の聞き役でした。母に私が話を聞いてもらうことはかなり早い段階であきらめていました。会話にならないからです。常に一方的。
高校を卒業して進学のため上京し、学生の間は寮住まいでしたので、夏休み、冬休み、春休みと帰省していました。
就職してからも、お盆休みと年末年始はもちろん、日にちが合えばゴールデンウィークも帰省していました。交通費は両親が負担してくれていました。
海外旅行もしませんでした。
帰省しなければいけないことを言い訳に。
サービス業のときは年末年始に帰省できないことに罪悪感を覚えたほどに帰省を義務化していました。
まるで帰省することで両親と離れて暮らしていることの償いをしているかのようでした。
そして帰省のたびに母の話を聞いていました。
東京にいる間も、週に一度は実家に電話を入れます。
そして母が一方的に話す近所の方の悪口や親戚の愚痴などを1時間ほど聞いていました。ひどいときはそれ以上の時間。まるで拷問を受けているような時間でした。こちらが相槌を打たなくても母は喋り続けていられる人なんです。ひどいときは目の前にいる私が少しの時間、例えばキッチンへと席を立っている間も話し続けていました。
そんなことが2015年まで続きました。
私は電話をしなくなりました。
帰省も年末年始だけにしました。
もう耐えられなくなったのです。
もう限界だったんです。
その間に、母は認知症を発症したのでした。
後悔は今はありません。
昨年の夏に認知症だと判明したときは悔やんでいましたが、弟に「誰のせいでもない」と言ってもらえて救われました。
最近また、愚痴やら妄想やらが増えてきた母を見ていると、今は聞いてくれる私がいるから垂れ流していられるのかな?と思うのです。
独居型のホームなので、食事以外は各々の自由。
コミュニケーションルームもあるので、そこに集ってお喋りすることも出来ますが。
さて、どうなるのかなあ?
なんの義理もない他人同士のコミュニティは母にとって初めての経験です。
嫌われたら、そこで終わり、かも。
考えても仕方ないんですけれどね。
どうなるのかなあ?とシンプルに思っただけです。