病気との向き合い方、
仕事との向き合い方、
自分との向き合い方、
家族との向き合い方、
 
人それぞれ。
 
今朝、初めて母親と、腹の底から言い合いになり、
私が東京に未練たっぷりなことも、
本当は、母親と同居するなんて無理だと思っていることも、
見透かされているように突いてくる母親を見ながら、
「そうだよな、私は他の誰でもない、私なんだ」と、
妙に冷静になった。
 
この母親と向き合うのは、世間一般の意見ではなく私。
ご近所の方々でもなければ、役場の方々でもないし、
友人でもなければ、親戚でもない。
もっと言うと、弟でもない。
私なんだ。
 
だから、娘なのに、なぜ一緒に住まないの?と言われても、
「私が嫌なんです。」でいいじゃないか。
 
30年も離れて暮らしていたら、もはや他人も同然。
それがはっきりわかって良かったです。
 
私は、母親に執着して、私が愛してほしい形を望んで、
それと現実のギャップに苦しんで、もがいて自分と向き合って、
なんとか「もう一回やり直してみよう」とここまできた。
 
私と母親は、平行線のままでした。
どちらも自分以外にはなれない。
当たり前のことなんだけれど、母と娘の温かい交流を
夢みて頑張って自分が変われば変わるかなと思ったけれど、
それは幻想でしか、ありませんでしたね。
 
そもそも、私が変わる必要がなかった。
私自身になるだけでよかったのに、またしても世間一般に
踊らされていたことに気がついた。
 
母親への執着を手放して、私自身になろう。
 
私は、母親を好きにはなれなかった。
好きになろうとしたけれど、やっぱり無理でした。
私は、母親と同居はできません。
生活の手助けはできるけれど、ずっと一緒は無理です。
ただ、血縁関係のある家族として、自分のできることをやります。
 
弟にもメールで「やっぱり無理です。」と伝えました。
これから、どういう方法が取れるのか、探ります。
 
ふう。
 
やっぱり無理だった!
わかってたんだよな、どこかで。
でも頑張ってみたかったんだよね。
 
結論が出せて良かった。