今のところ、混沌とした様相を呈してきた我が家の引っ越し問題。
自分のために整理したいと思います。
・この引っ越しの目的は、私と母の同居
・私は、母が住んでいる町は好きじゃない
・母は、東京には住めないだろうと思われる
・私が、気持ちよく過ごすために、北海道ならば札幌を選択
ここまではよいとして。
では、母の状況を考えてみよう。
・隣りのじいさんが、ゴミを母に押し付けるように置き去りにする
・隣りのじいさんが、細かな嫌がらせをする
・近所のばあさんが、何かと嫌味なことをいう
そんなこんなでストレスフルになり、体調を崩しているので、
今の家に住み続けるのも、困難かと思われる。
避難場所的な別宅が使えるといいなと母は言っていた。
ここに弟の考えがミックスされてくる。
因みに、弟には育ち盛りの息子(可愛い甥っ子ちゃん)がいる。
・道営の公団が当たるといいよ
・母さんが札幌に来たら、面倒見るのはお手伝いするよ
・何かあったら相談にのるよ
・とりあえず避難場所の住宅は空き家があれば押さえるといいよ
おお、なるほど。
弟の意見は、確定要素が低いものばかりだ。
ということは、私がしっかり考えていかねばならぬということだ。
決定権は私にあるのだ。
彼の意見に振り回されている場合じゃないのだ。
ここで勘違いしてはいけない。
弟を批難しているのではないのだ。
だって彼には、妻と息子を養うという大きな責任があるのだから。
それに、遠く離れた町から母の通院のために、車で何時間もかけて
往復して頑張っていたのは彼なのだから。
感謝こそすれ、批難するのは的外れである。
だがしかし、感謝することと、冷静に考えることは別物だ。
今回のことを大きな家族の出来事から、私と母という括りに細分化して考えると、
この引っ越しにおいて彼は「当事者ではない」のだ。
東京の家を引き払うのは?私だ。
実家の片づけと荷造りをするのは?私と母だ。
もしも別宅を借りるとして、そこに荷造りをして引っ越すのは?母であり私だ。
実家から札幌へ引っ越すのは?母だ。
ふむふむ。
ちょっと整理できた。
あとは、弟の意に沿わないことが現実となる場合、彼の感情の荒波に
どう対処するのかを考えておかねばだな。
いやもう、ほんと、家族って大変。