①父親との話

母に逃げていると言われてしまったため、父親と腹を割って話すことにしました。ドライな性格をしている父と話すのは心底恐怖でしたが、結果を言うとあっさりと受け入れてくれました。それどころか、会社での知見を通してより良い場所を提示してくれたのには驚きました。そういった提案を参考にしつつ、最終的には自分で決めていく所存です。

想いや気持ちは、話したり何か別の形にしないと伝わらないものだというのは本当に良くわかりますが、それでも衝突の可能性を考えるだけでおぞましいものでもあります。結局いつかは伝えなければいけないというのは心で理解していますが、それでもとにかく怖いのです。しかし今までの失敗のすべては伝えていなかったことだので、その恐怖と真っ向から戦っていくしかないのだと思います。人生は、だいたい戦闘準備ができていない状態でも無理やり進行していくものであると思います。そんな中、臆してしまって動けないことってよくあると思います。そんなとき私は両手で頬を思いっきりベチンと叩くようにしています。小学生のころから緊張する場面で喝を入れるために使っていたおまじないみたいなものですね。

 

 

②未来を考えて不安になる日々だけど

未来がわからないんだったら、悩んでいても時間を無駄にするだけだ。今やれることを精一杯やることが、未来を生きるということなんだろうと思う。

もう私は好きなことを隠したりしません。半年後や1年後どころか、一週間先、3日先のことすら想像できないような状態ですが、私は過去にケリをつけて飛び込んでみました。私は今究極の刹那主義なのです。今、目の前のことをどれだけ楽しめているか?好きな事をするための仕事は、とても楽しいです。どれだけ大変で辛くても、その先の未来を見据えて真っすぐに進んでゆくことは今を生きている感覚がしてとても良い心地です。悩むのに飽きたら、えいっと前に進んでみます。果てへたどり着くまでの道筋で起こったことは、どうにかするという氣持ちで。今、やれることは最大限やっています。だからきっと、大丈夫。

時に、仕事が楽しいかどうか、勉強が楽しいかどうかは完全にタイミングであると自負しています。楽しい!と思うタイミングがあれば、苦痛でしかないと思うタイミングもあるわけです。それらは本当にやってみなければわからないことなので、とにかくいいなと思ったら飛び込んでみる。そこで痛いしっぺ返しを食らってしまっても、それは過程として飲み込む。最終的にやりたいと思えること・楽しいと思えることに辿り着けたらそれで千点満点です。私は今、過程にいるのです。