さて旅行に出発のタイミングで
体調不良になってしまった私。
もしかして「何か」に行くなとでも
言われているのか…?
なんて考え始めていました。
そんな折、DGからのビデオ電話。
…?
いま何か見たような…
でも体調も悪くてよく考えられない。
D「ざっとみんなを映したけど気づいた?」
私「T氏の横に大きな棒が写ってたような」
D「棒じゃなくて松葉杖だよ」
私「は?」
D「自分とT氏の2人とも
今日事故して膝を捻って」
私「は? T夫人は?」
D「バイクに乗ってなくて後続車にいた」
私「DGは怪我は?」
D「膝が痛いけど車の運転はできる。
松葉杖必要なし」
これって、私が体調良くて
旅行に参加してたら
確実にバイクの後ろに乗ってた。
そういえば今週は
亡くなった祖母の誕生日がある。
ばあちゃん、
私を守ってくれようとしたの?
なーんて思ってしまいましたよ。
ちょうど私の体調を心配した
父からラインが来たので
DGの事故と祖母が守ろうとしてくれたのかも
という事を話したら…
色々な妄想?が駆け巡るのは
疲れが大分たまっているようだね。
まあ偶然が結果的に
良い方に作用したと言いたいのかな。
父よ…。一刀両断だな。
話に出た祖母は貴方の御母堂だが…。
父は根っからの理系脳。
何かがおこったら
その意味は…ではなくて
「いま何をすべきか」を考えて
対応していく人です。
だからこそ長年エンジニアとして
チームの長としてやってこれたんだよね。
お墓や仏壇神棚は
「長男としての義務」
としっかりと整えていますが
信心深さは母の側でした。
うちの母は毎日のように
墨を摺って写経をし
書き溜めたものを持って
何度も四国遍路巡りに参加した人。
仏壇へのお供えなども
形はちゃんとしていないかもですが
心を込めて毎日きちんとしている人です。
人の世話も義務ではなくて
心から心配して寄り添って手を差し伸べる
暖かさと心の大きさは母に学びたい、
そんな人。
私もなぜ母にではなく
父にこの話をしたのか
自分でもわからない…。
あ、それも祖母の差金?
祖母も道理や理屈で考える人でした。
2人に言わせればこれも
「妄想」
と一刀両断されそうです。
そうか。
深く考えずに
起きたことは
あるがままに
別に意味なんて探らなくても良いのだ。
何かが起こった時に
何かに理由を見つけて
安心材料にしたいというのは
ある種の防衛反応なのか…。
でも実は考えても無駄な事を考えるより
要は何かが起こったとききは
その都度、臨機応変に。
考えても無駄、というのは
考えた結果は
自分を納得させるためのものであって
正解も不正解もないから。
直後に良く(悪く)転がっても
長期的にどうなるかはわからないし
その時その時に
しっかりと対応していけば良いのだ、
という事かな。
あー、また意味を考えようとしている!
癖になっている。気をつけよう。