今日はCovid19 ワクチン義務化に疑問を感じる人たちが、きっかけになったトラックドライバーたちの抗議ラリーと共にオタワに集まって抗議をする日です。

私はワクチンを2回接種済みですが、国が個人の健康に関する選択の自由を奪うことには疑問を感じています。


「90%のトラックドライバーは既にワクチン接種している。アメリカ側も似たような規制がある。何が問題か」とCBCニュースでは言っていますが、自分の自由意思でワクチンを打つのと、義務になるのには大きな違いがあると思うのです。


茶色の朝」に書かれたように、始まりは小さな事でも、そこから大きな事につながる危機感を感じるからです。



ワクチンの義務化を主張する人たちが、ワクチンを打たない選択をする人に対して「科学を信じない」「学がない」などと攻撃をする事がありますが、本当に科学を信じる人であれば、この発言が危険だと識っているはずなのです。


科学とは疑問を持ち続ける事が大事であり、進化と進歩を約束するのです。


アインシュタインも言っています。


Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow.

The important thing is not to stop questioning.

(過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。

大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。)


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The important thing is, I can continue to have doubts.
And must not lose the sacred curiosity.

大切なのは、疑問を持ち続けることだ。

神聖な好奇心を失ってはならない。)


私にとっても科学とは疑問を持ち質問をし続ける事。


ある時期にある事が真実であるように思えても、考えう事をやめてしまえば、それ以上調べることも研究することもなく「新たな発見」もなくなります。


それはどんなトピックでも同じ。初期に限られた情報の中で真実と思われた事が、のちの研究で覆されることは普通です。


現在のCovid-19 の状況は科学ではないように思うのです。


考える事をさせず「良いからお上の言うことを聞け」の一点張りで、ディスカッションもない。反対意見は全て攻撃される。


ワクチン推奨も反対も両方ともがそんな感じです。


それは科学ではなくて政治か宗教です。


疑問を挟む事を許さないあたりがまさにそうではないかと思います。


アインシュタインが「組織された宗教」に反対していた理由もここにありました。


彼は無神論者ではありませんでした。無神論者とは無神論を盲目的に信じる一種の宗教と言えるからです。


双方に興味と疑問を持つ。彼は根っからの科学者でした。


さてCovid-19が絡むと似た事がおこっています。


賛成派と反対派。双方が相手を説得するか拒否して愚か者か犯罪者扱いをするか。


それは有神論と無神論、右派と左派、 "you are either with us, or against us"の戦い。


そこに話合いや更なる探求と言ったオプションはありません。


そしてそれはとても危険な事だと思うのです。


最後に…これは科学とは違いますが、ドイツのニーメラー牧師の言葉彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」を忘れてはいけないと思うのです。