先日聞いたっポッドキャストがすごく良かったので紹介します。


EPISODE 126 – LEADING THROUGH TRAGEDY, FINDING PURPOSE (悲劇を通して導く、目的を見つける)

 


話者はピーター・ベインズ氏です。べインズ氏は法医学捜査官で2002年のバリ島爆弾テロ事件と2004年のスマトラ島沖地震で法医学捜査官としての仕事に従事しました。

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ポッドキャストは45分と長いので、すべての内容は紹介できませんが、私が良いと思った2点を紹介します。


一つは危機(プロジェクト)の4つの段階(ステージ)の話。もう一つは仕事に没頭している際に忘れがちなこと。

 

引用(違約ですが)と私の感想がわかりにくいので、以下は私の感想はで表します。

 

【危機の際の4つのステージ】

べインズ氏がかかわった事件では各段階が1週間くらいの長さであったそうですが、これはそれぞれの状況やプロジェクトで変わってくるでしょう。

 

4つのステージ(段階)というアイディアはどんなプロジェクト/危機の際に通じるものと思われます。

 

第一段階最初の1週間。

 

現場に到着するまで(あるいはプロジェクトに指名されてから実際に仕事を始めたころ)様々な感情が沸き上がります。

 

不安、期待、緊張、そしてある種の興奮状態があるでしょう。最初の1週間はそれらすべてを見極めていくときです。

 

エネルギーレベルは高く、アドレナリンがたぎっている状態。

 

第二段階第2週目。チームが一番生産的な段階です。

 

プロジェクトやチームのことがわかってきて、どのように仕事を進めればいいのかみえてきて、仕事はスムーズに進むようになります。

 

この段階ではチームは心身ともに仕事に向かうよい状況にあります。

 

第三段階3週目はプロジェクトにおいて最も大変な段階、ルーチンワークの段階です。

 

このころにはチームは毎日のように同じレストランで同じ食べ物を食べ、同じバスに乗って同じ場所に行き、同じメンバーで同じことをし…そんな繰り返しにうんざりしています。

 

この間、メンバーは家族や友人と離れて働き続けて3週間。

 

そろそろ家族や家が恋しくなり、仕事に対するエネルギー、精神的エネルギーが低下します。

 

この第三段階こそが最も重要な段階です。

 

よくあるのは、プロジェクト開始時にはシニアレベルの人々がおり、プロジェクト開始にありがちなパーティ(やイベント)があり、会社の(プロジェクトによっては)政府の重鎮なども参加。

 

まるでプロジェクトの初期にこうしたお祭り状態になければプロジェクトは失敗の運命にあるかのように。

 

しかし実は最も重要なのは私たちのエネルギーが非常に低い第3段階です。

 

そのときこそチームはリーダーを必要とします。


モチベーションを保つには明確な目的、私たちがしていることにどんな意味があるのか、その重要性を理解する必要があるのです。 


そして(この第3段階こそが)リーダーがチームにそれを伝えるべき時なのです。

 

第四段階そして最後の第4段階はプロジェクトの終わり。 

 

これはプロジェクトが終わり解散、あるいは自分たちの仕事が終わって他の誰かに引き継ぎをする段階です。

 

このころには終わりが見えるのでチームにもエネルギーが戻ってきます。

 

終わりが見え、希望がみえてくるからです。

 

 

これは現在のCOVID-19の状況にも言えるでしょう。

 

最初の週は何が起こっているのかわからず、だれもが一種の興奮状態にありました。

 

人々はオフィスから追い出され、自宅から仕事をするように言われました。

 

初期の段階では通勤がなくなり、パジャマで仕事をしたっていい状況、家族とも近くに居られて良いこと尽くしなんじゃないか?なんてことを思っていました。

 

しばらくの間はより生産的に仕事に取り組めて、自宅からの勤務の方が仕事の効率もよくていいんじゃないか…などと思ったり。

 

しばらくすると、状況は変わってきます。


会議中にも関わらず騒ぐ子どもたち、ずっと一緒にいる夫(妻)のこともうるさく感じ始め…そしてこの状況がいつまで続くかわからない。

 

オフィスに戻りたい、そんな風になりませんでしたか?

 

リーダーとして、第三段階が必ず起こることを意識していなければなりません。

 

意識しているからと言って、この段階を避けることはできません。

 

しかし認識することで実際にその段階が来た時にチームを手助けするための準備ができている、ということです。

 

この話はとっても納得です。自分が第三段階にいるんだなぁ(仕事でもコロナ禍の状況でも)、ということを自覚すると同時に、イライラがどこからきているのか、自分が何を求めていたのか(得られるとは限りませんが)見えた気がしたからです。

 

【忘れがちなこと】

べインズ氏が妻との2つの会話を紹介していました。

 

エピソード1

「聞いて!もう…信じられないんだから!」と妻が国際電話での会話中に大事件が起こったかのように話をしたとき、べインズ氏は死者で埋め尽くされた現場にいました。

 

何が起こったんだろう?

しばらく仕事にかかりきりをでニュースを見ていなかった。

何か起こったのか…?

 

その「信じられない大事件」とは子どもが真新しい弁当箱の蓋を無くしてしまった話でした。

 

話の流れにショックを受けて「本気か?」と言ってしまったべインズ氏。

 

エピソード2

当時家族が住んでいたシドニーを嵐が遅い、近所の家の屋根に折れた大木の枝が刺さったとき。

 

更に続く雨による被害の悪化を心配する人々に、「そのために保険があるんだろう?」とコメントしたべインズ氏に妻が一言。

 

“Just because there’s not thousands of people dead doesn’t mean that this isn’t important.” 

(ここに死者が1000人でなかったからって、これが重要でないという事にはならないのよ)

 

これ、すごくわかるんです。

 

仕事で一杯いっぱいのとき、プライベートで起こっている些細(に思える出来事)が話す価値もないような出来事に感じてしまう。

 

そしてそれを口に出してしまい、本当に大切な人々のことを「話す価値もないかのように」扱ってしまう。

 

本当はそうじゃない。

 

ここに死者が出なかったからと言って(1億円が動くような出来事じゃないからと言って)つまらないこととは言えない。


買ったばかりのお弁当箱の蓋を無くした子ども、子どもがサッカーの試合でゴールを決めた!スーパーでくじ引きに当たって1000円の商品券をもらったよ、待ち合わせに30分遅れてしまった、家庭菜園のレタスを野うさぎに食べられた!


些細なことかもしれない。


大金が動く話でも命に関わることでもないかもしれない。


でも私たちのプライベートや家族・友人以上に大切なものってあるのか。


朝「いってらっしゃい」と言ったのが最後の言葉になった時に、後悔する事をしていませんか?

 

仕事を疎かにしていいというわけでは無い。

だからと言ってプライベートを疎かにしていい理由にはならないという事。

 

プライベートが同じように大切ってことを、私たちは忘れがちなんじゃないかな。


“Just because there’s not thousands of people dead doesn’t mean that this isn’t important.” 


これは心臓に刺さりました。

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フルストーリーもよいので、そして会話の内容(Transcript:インタビュー筆記録)もあるので、良かったら聞いて(読んで)みてください。


長くてすみません。


お詫びにバギーラの写真で終わります。

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