オテロの私視点で描く登場人物、最終回はデズデモナ。 

彼女はこの悲劇のヒロインである…のですが…。

でもあまり書く事は無い。 

彼女は単なる人の好い被害者だったのか? 

ある意味Si、ある意味No. 

彼女に非があるとすれば、それはナイーブすぎた事。 

注:英語のナイーブは日本語のような良い意味で使われることはまずないです。mさんのブログ、毒の滴りのこの記事でうまく説明されているのでどうぞ参考にしてください。

まだ幼い娘のように邪気のないまま、劣等感の塊で疑心暗鬼になっている夫の前で 夫の部下(カッシオ)を褒めたり庇ったり。 

彼女はオテロと結婚する際に、父を裏切ったことになっている。 

一度、誰かを裏切ったのであれば、また裏切るかもしれない。 

自分が愛される価値が無いのではないかと不安になっている 劣等感の塊の男(オテロ)には、その疑惑もまた デズデモナの裏切り(不貞)を信じる材料になったに違いない。 


一度でも裏切ったり、嘘をついた事があるのであれば 相手から疑われるかもしれないと自覚し、行動を慎重にするべきではなかったのだろうか。 


しかし、相手の暗い思い(劣等感)を理解するには 彼女の育ちは良すぎた。 


そして、他人の苦悩を思いやるには若すぎたのかもしれない。 

運がよければ、同じように育ちがよく、疑うことを知らず、 精神的にも発展途中の二人が、紆余曲折を経て 一緒に成長し、愛を育てる事ができたかもしれない。 


そういう意味では、カッシオが夫であったならば 
似たもの夫婦になっていたかもしれない。 

いや、だからこそ、オテロの不安は膨れ上がったのかもしれない。 

妻と副官(カッシオ)が似ていることは感じていただろうから。 

優秀であり、妻と同じ世界に育った男。 

「こういう男と一緒になったほうが良かったと思っているのではないか」 

そんな風に不安になっていたかもしれない。
 
そんなときにイアーゴから二人の仲を指摘され… 

デズデモナの不運は、愛した夫が不安定な心をもてあましていたこと(その不安定さが魅力だったのかもしれないが)、 

絶望と隣り合わせにいる男を包み込めるだけの精神的余裕を持つまでに成長していなかったこと、 

お嬢様育ち(箱入り娘)だったために、他人の劣等感や 微妙な心理的やり取りには不慣れだったこと、 


一見「理想の男」と思われる者が近くにいたこと、 

しかも彼女はカッシオには何の邪心も無かった故に 却って親しげに振舞ってしまったこと。 

(邪心が少しでもあれば行動も慎重になっただろうに) 

オテロに殺される間際に、 
「死にたくない」
「せめてあと少し」
「お祈りする間だけでも」 
と命乞いをするところは胸に迫るものがある。
 
その瞬間は夫への愛も忘れ、自分への愛、生への執着が 彼女の心を支配していただろう。 

彼女は未熟だったかもしれない。 

でも、少なくとも自分を愛せるだけの健全な精神を持っていたことだけは 確かだ。 

この死の直前の様子が私が彼女を魅力的に感じるシーンである。 


それまでの彼女は単なる「従順な恋する乙女」であった。 

この瞬間に、彼女は生身の人間になった。 


「私は無実の罪で死ぬのね」と涙を流しながら(と思われる) 細い声で歌いつつ果てる… 。


絶望と諦めの中で、もう一度、夫への愛と憐れみが見えるようで 彼女を「永遠の女」にしているように思われるのだ。