2009年7月22日の日記から。中国の宇宙ステーションの落下のニュースを見てふと思い出したので…。

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アポロ11号の月面着陸40周年、皆既日食、そして木星への地球サイズの彗星衝突。 


宇宙関連ニュースが続きますが…。 


CBCニュース番組の特番でコロンビア号の事故(2003年)をやってました。 


このタイミング(月面着陸40周年)でこれをするのはすごいな、と思った次第。 


スペースシャトルの事故といえば私には1986年のチャレンジャー号の方が印象に強い。 


あのときは授業中で、学校で教室にテレビを持ち込んで皆で打ち上げを見ていた。 


そして…それがあの事故になって、クラスメイトの誰かの悲鳴が聞こえて、 ショックでぼーっとなった。 


どうやって授業が終ったのか、テレビをどうやって切ったのかは覚えていない。 


コロンビア号の特別番組を見ながら当時を思い出していた。 


コロンビア号の場合は事故は地球に戻ってくるときだった。 


だからクルーが機内で実験を進める様子や、無重量苦状態でふざけている様子が映像として残っている。 


そんな番組を見て、その翌日の同じ時間帯の特別番組は火星探索計画の話。 


宇宙開発はお金がかかる。 


「そんなお金があるなら、もっと有効に使う場所が地球の中にあるだろう」 


そんな意見もある。 


国もお金を出し渋っている。 

計画はなかなか認められない。 

それでも探索の心を忘れたら人類の進歩は止まってしまうと信じる人もいる。 


アポロ11号の月面着陸のときに様々な人からインタビューをした映像があるそうだ。 


そこでも一人の女性が「もっとお金を有効に使う場所が他にあるだろうに」と言っていた。 


人の心も意見も心意気も、あのころから変わっていない。 


「簡単だから目標にするんじゃない、困難だからこそ選択するのだ」 


ケネディの言葉(もちろん自分勝手な受け取り方なので,本当の訳は違うと思う)。 


アポロ11号のときから、変わらぬものがここにある。 


さて、今日の同じ時間帯の特別番組は何だったでしょう。 

Short Lives の特集です。 


生まれて数時間でなくなってしまった子どもたちとその家族。 


ある病院にはボランティアのフォトグラファーがいる。 


そういう赤ちゃんの家族写真をとってくれるのだ。 


医者からの宣告で、赤ちゃんが生きられない事を知った上での撮影。 


笑顔のない両親が、それでも赤ちゃんを愛しそうに抱く写真。 


両親を取り囲む家族。 


写真を撮るうちに、泣きそうになりながらも笑顔になる両親。 


この子は生きられないことがわかっている、と赤ちゃんの兄である小学生の男の子に 父親が伝える。 


男の子がいう。 


「でもまだ生きてるんでしょう?

ここにいるんでしょう?

写真を撮るんでしょう?」 


男の子を抱きしめて笑い泣きをする父親。 


子どもを失う悲しさと、男の子の思いがけない成長を感じさせる言葉に、笑い泣きになってしまうのだろう。 


写真はそういう家族を写す。 


赤ちゃんを失うことも恐ろしいが、この子の事を忘れてしまうんじゃないか、うまく思い出せなくなってしまうんじゃないか、そのことも恐ろしい。 


そうやってできるだけ思い出を残そうとする家族。 


それを理解しているからこそ、無理にでも思い出をつくろうとするボランティアたち。 


そして子どもを失った後、その写真の数々、手形、足型をみて、
思い出だけでも残った事を涙とともに、それでも喜ぶ家族。 


手放しの喜びではないけれど、そこには家族の絆と愛情が確かにある。 


チャレンジャー号のクルーにも、コロンビア号のクルーにも宇宙開発に携わった人々にも、宇宙開発の陰で忘れられたまま消えていった命にも、この死んでいった赤ちゃんと同じように、関わる人々があり、命があり、想いがあったんだな。 

と思う。 


こういうのを見た後には

全ての人が幸せでありますように、と願うのです。