面白くて一気に読みました。 


じんわりとして、やさしくて、どうも世間には馴染めそうにない登場人物たちに入り込むうちに 
村上春樹氏が訳したカポーティのクリスマス三部作を思い出した。 


他人との交流が下手な不器用さと、自分なりのこだわりや愛情…。 


散策に入った山で雨にあい、藪の中に腰を下ろして葉に打ち当たる雨の音を聞きながら感じた土の臭い、惨めさと隣り合わせの切なさ…そんな若かりし頃の感覚を思い出します…。
 

というのは、その状況を体験した人以外には決して理解できない喩え話ですね


何が言いたいかというと…人と分かり合えない、心を分かち合えないというのは、何と孤独で美しいのだろうと思うのです。 


人とは決して分かり合えないと言う事を理解しつつ、分かり合える部分を大事にする事が
人とのよい距離感を保つと言うことであり、限界の中で人との関わりを大切に愛すると言う事なんだろうなぁ。 


…いや、単なる独り言です。


数学や化学が面白いのは左右のバランスが美しくとれているという「式」にあるのではなかろうか。 


シンプルさの美。 


随分前に友人と話していた時にでた事なのですが… 

Accountingも化学式も、左右のバランスが取れてれば正解、ってわかるからいいですよね。 


両方ともいかに美しく並べるかにこだわりたい点でも似ているかもしれない。 


なんて。 

私の知るAccountingも化学も初級レベルなので、こんなにアッサリと結論づけてはいけないのでしょうけどね。 


その化学だって(理系大学に行ったというのに)殆ど忘れちゃってます(先生、ごめんなさい)。

そんな私なので、化学実験のクラスでうけた最終試験のような

「3種類の試薬入りの液体。その中身を同定せよ」

なんていうのは、もはやどこから手をつけて良いのか判らない状態ですが…あのまま勉強していたらCSIが目指せたのかしら? 


似たような試験を「動物のお医者さん」という漫画で主人公が出されていましたね。 


探偵っぽくなれて楽しいテストではあると思う。解ければね。

思えば植物生態学の調査員の仕事は泥臭い(あくまでも私がやっていたことが…ですが)。


泥だらけ、傷だらけ、ゴミだらけ、クモの巣だらけになりながら、虫刺されでボコボコになりながら、汗くさーくなって一日中歩きまわって集めた標本たちを図鑑とにらめっこしながら犯人探しのように同定していく作業。 


自分の汚さに酔いしれていたあの頃。 


家と研究室と山と…いったいどこに居た時間が一番長かったんだ…と思えた最終学年(多分、研究室で過ごした時間が一番長かったと思う)。 


生化学の研究室の連中と、学内に生えるタラノキの新芽を争っていた初春の頃(双方の研究室から近い位置にはえていたのです)。 


彼らが研究のために育てていたミントをお茶にし、応用物理学科の友人が実験する高温になった機械のうえで作った、何かがコンタミしてそうな焼き芋。 


ビーフジャーキーを片手に解剖の話で盛り上がっていた生物専攻(ジャーキーと標本の筋肉って感じが似てるよね、なんていいながら…)の面々。 
 

クリスマスイブに居残りでショウジョウバエの実験をしていた私たち(ハエが出会いから性交までかける時間と行動を観察して、統計を使いつつレポートにするという。他人様の愛の行動に注目なんて、クリスマスにふさわしいですね…自虐的冗談です)。

そんなオタクでギークな私たちですら、当時は数学科の人たちを「変人」と呼んでおりました。 


すみません。 


今では(山の泥じゃなくて)
世間の泥にまみれてサイエンスからはかけ離れたてしまった。


科学者の恥!と自分をののしりたい。 


ということで、数式に愛を捧げる博士の話を読みながら、のんだくれつつも学友たちと議論しあった日々を思い出しました。 


懐かしいなぁ。 
という…あらすじさえない感想。

参考になりませんね。

面白かったです。
おススメです。