またまた昔みた映画の話。

今日はイタリア映画の「家の鍵」の話です。

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イタリア語だとle chiavi di cada。
英語だとthe keys to the house。

ここでの「鍵」は複数形なんですね。

そして英語タイトルを見て初めて気づいた…
「to the house」なんだ…。これは英訳をした人が感じた事なのだと思います。イタリア後のdi は英語の of だったと思うので。

そうすると訳版というのは直訳ではなくて
訳者の想いが込められているのかな、と思うのです。
 

イタリア映画らしく、淡々と綴られるエピソードや人々。 



出生時に母を亡くし、籍を入れていなかった父には逃げられて母方の叔父夫婦に育てられた高機能自閉症の息子(パオロ)。 

父のジャンニは別の女性と結婚し、息子が生まれたばかり。 

そんなときに、ジャンニはパオロを育てている母方の叔父からの連絡を受け、パオロ
を託される。 パオロは15歳になっていました。

たぶんドイツの病院に連れて行く間だけの軽い(心は重い)交流、というだけのつもりだっただろう。 

15年ぶりに見る息子は、心が通じ合ったと思った途端に、 自分を拒否するかのよう様子をみせる。
 

戸惑いながら、そして一喜一憂しながらの息子との時間。 


そしてドイツ
の病院で出会った、重度の障害を持つ娘と共に生きる女性ニコールとの出会いに、救いと絶望の姿を見る。 


ニコールとの交流、息子との時間、罪の意識と湧き上がる愛情。 


そして父は息子と一緒に暮らすこと決意する。 


ここで終われば、ただの「よくある感動物」なのですが、 父が決意したところで終わらず、その後の苦しみや喜びを暗示するかのようなエピソードを付け加えてのエンディングに、
監督の心を見たような気がしました。 


「そして父は息子と一緒に暮らすこと決意する」


ここ、重要です。


この決意は父ジャンニだけのものなのです。


説明されていないいくつかのことを考えると、「これから」のことが気にかかってきます。 


パオロのことを詳しくは知らされていないであろう、 そして一緒に暮らすことになるとは、思っていなかったであろうジャンニの妻と生後8ヶ月の息子。 


ジャンニが仕事に行っている間、誰がパオロを見るのかも 気になる。 


ジャンニや彼の家族はニコールのように自分の夢や生活を すべて犠牲にすることに耐えられるのだろうか。 


「想い」だけでは何ともならないのではないか、 
それでも希望を持ってみたい、そんな不安や重みを感じました。 


ニコールのセリフは重い。

 「母親にあてがわれた汚れ仕事よ。父親にはできない。何かと口実を見つけては逃げてしまう。娘に近づけなかったし、触れもしなかった。娘を傷つけるのが恐いと…」 

「娘が絶望的な目で私を見る。死んでくれれば、と思う」

娘への愛も本物ならば、この(心の)叫びも本物だと思うのです。


ジャンニにはその覚悟はあるのでしょうか。


パオロは可愛い。

映画の最後の方では愛しさも湧いて来ます。


でも、ニコールの心の叫びも忘れられない。

物事は一面からだけでは見えないのだと思います。

盛り上がりやスピード感、テンポのよさは無いけれども 、見終わった後に、いろんなことを考えたくなる映画でした。
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