引き続き思い出話です。このシリーズはタイトルに◆がついています。
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さて卒業後に本格的に働き始めたわけですが…。
なにせ英語が完璧には使えないので、いろいろと迷惑をかけたと思います。
事務の仕事って仕事内容は簡単かもしれないけれど、結局は何でも屋。何かあったらとりあえずはここに連絡をしよう、という存在なので問い合わせも多い。
ボスはディレクターで社外の人と会うこともあるので社外からの連絡が入ることもあったりして、電話には苦労しました。
周りの人の手助けが無かったらやっていけなかったと思います。
現に、ボスのところには「あんなに英語ができないやつを雇うなんてどうかしている」という苦情が入ったこともありました(アメリカの事務所からの苦情だったので、その後しばらくアメリカからの電話は苦手になっちゃいましたよ)。
それでも、ボスの頻繁に変わるスケジュールを管理し(日本でのレンタル機材のスケジュール調整の経験が役に立ったかも)、パソコンを使ってのレポート作成の手伝いなど(パソコンを使うのは好きだったので、新しいシステムやアプリケーションもすぐに覚えることができました)、仕事内容では認めてもらえたので、なんとか首がつながっていたのかもしれません。
エクセルの使い方などで、同僚に教えることができたのも「助けてもらうだけ」じゃない「もちつ、もたれつ」の関係を築くことにつながったと思います。
それにしても、私にチャンスをくれたボスには大感謝です。
ここで一年少し働いてカナダでの働き方を体験するうちに、カナダではワーク・ライフ・バランスということが本当に大切にされていて、その実現のために体制がちゃんとつくられているのだな、と感じました。
仕事だけの人生じゃなくて、家族との時間、友人との時間、趣味の時間、勉強の時間、ボランティアの時間…そういうものを通して人生に深みをつけているように思えました。
私も週末や夜間に旧科学館でボランティアをしたり、夜間のコースでアカウンティング(Accounting)をとったりしていくうちに、カルガリーがどんどん好きになっていきました。
とても暮らしやす街に感じたのです。
アカウンティングの勉強も楽しくて、カナダにもう少し残って大学でビジネスをちゃんと学びたい、と思うようにもなっていました。
ボスにも相談したりするうちに、その思いはどんどん強くなっていました(ボスは常に自己開発を目指すような人で、モチベーショナルな存在でした)。
留学生は政府からの援助がないために学費が高く、カナダ人学生の2倍から3倍(学校や州によって違います)を払うことになります。
資金の事もあったので、働きながら学校に行くために(学生ビザに変わるため、セメスター中は週に20時間しかたらけなくなります)、全てのクラスが夜間にある、レスブリッジ大学のカルガリー校に申し込むことにしました。
カルガリーに来て2年。また節目に来ていました。