引き続き思い出話です。このシリーズはタイトルに◆がついています。
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2つ目もホームスティ。
このときBVCへの入学が決まっていたので、BVCを紹介してくれた最初のエージェントとは別のエージェントを通して決めました。
スタンピード期間中の痴漢の話をきいたエージェントが、「それならもっと安全な南のコミュニティの老夫婦の家の生徒さんが帰国する予定だから、新しい入居者をさがしているからどう?」と紹介してくれたのでした。
最初のホームスティ先は4か月の滞在の予定だったので、急に引っ越すというと驚かれましたが「カルガリーには1年しかいない予定なので、各エリア(カルガリーは大きくNE、SE、SW、NWの4区画にわかれています。東西を分けるのがセンターストリート、南北を分けるのはボウ川…かな?)それぞれに住んでみようと思って」と説明にもならない説明をして引っ越しを決行しました。
新しい場所はSEの古いコミュニティ。古いので大きな街路樹でしっとりとした雰囲気でしたし、コミュニティを変わってみると「治安がいいコミュニティってきれいで明るい」というのが実感できました。
御夫妻はアッパーミドルクラスのモルモン教徒で、品が良くて世話好きで良かったです。いままでにも多くの学生を滞在させてきただけあって、学生の扱いも慣れており、ハイキングやキャンプにも連れ出してくれて、本当に家族のように接してくれました。
絵にかいたような「ホームステイ体験」ができるので、短期の留学生で、カナディアンの家族の中でアクティビティも豊富な生活を期待する若い学生には良いのではないでしょうか。
良い体験がたくさんできて楽しかったので、3-4カ月の滞在のつもりだったのですが、結局は7カ月ほど過ごしました。
引っ越しを考えたのは冬のある日の事でした。
この家は割と公共の交通機関が不便な場所にあって、バスが普通の時は1時間に1本、通勤通学の時間は30分に1本、夜遅くや週末は1時間半に1本しかありません。Cトレイン(LRT)の駅までバスで30分ほどかかり、そこからCトレインでダウンタウンまで。かなり不便でした。
しかも日本のように分単位で正確な交通機関というのではないので、バスが遅れたり早く来るのは日常茶飯事。
ある冬の朝、その日の気温はマイナス13度。Wind chill(風が吹いたときの体感気温)がどれくらいだったかは不明ですが、雪が積もっていて息をすると冷たさに肺が痛くなる感覚の朝でした。
それでも前日の寒さに比べると暖かかったため,靴は普通のスニーカーに変えて(前日までは雪靴だった)家を出のです。
最初の10分は雪のせいでバスが遅れたのかと思っていました。
次のバスが来る時間になり、バス待ちの乗客が増え、乗客同士で不安と不満の声があげていました。
20分後、更に客が増えた。Cトレインではないので放送による事情説明もありません。
シェルターのないバス停だったので、風を除けることもできないし、普通のスニーカーを履いていたために足先が冷たく痛くなって指が千切れそうな感覚でした。
ようやく一人の男性がカルガリー・トランジットに電話をして事情が判明。
信号機の故障で左折する車が左折できずに動けないままでいるらしい(日本と逆で左折が大変)。
そんな事情なので、バスがどれくらい遅れるのかは不明とのことでした。
待つしかなかったのですが、足が痛すぎて我慢ができなかったので、いちど家に帰って学校に電話をし、遅刻する旨を伝えました。
「こうして電話をかけている間にバスが来てなければいいけどね」というホストファミリーの冗談が笑顔で聞き流せないくらいに神経も苛立つし、足が痛くて惨めな気分になるし、バスが来ているかもしれないと思うと不安にもなるし…。
こういうときこそ、カレッジのクラスで習ったストレス・マネジメントやポジティブ思考が役に立つのでは?とは頭をよぎるものの、その時は余裕がありませんでした。
「衣食足りて礼節を知る」ではないですが、身についた習慣と違って小手先の知識や技術は心に余裕があってこそ使える場合も多いのでしょう。
「歩いて駅に行くならバスルートじゃない方が早いわよ」のホストファミリーの声に無言で出発。
もう既に気分は萎えており、駅までの徒歩1時間以上は考えても嫌でした。日本人なら車を出してくれるだろうな、という甘い考えは必死に頭から追いやりました。
結局、バスが来たのは最初の予定から1時間半後でした。
カルガリー・トランジットは信号機の故障のせいにするけれど,スクールバスは時間通りに来ていたので甚だ疑問。勘ぐり過ぎでしょうか。
バスもCトレインも暖かかったのですが、冷え切った体は温まらず、学校についても震えは止まりませんでした。やっぱりバスは嫌だ。
この年は最高気温がマイナス30度近くになることもおおかったので、この件が-13℃の朝でよかったのかもしれません。
が、これでバスルート沿いではなくてCトレインの駅まで徒歩圏内のところに引っ越す決心をしたのでした。
ここには2007年7月から2008年1月まで滞在しました。