引き続き思い出話です。このシリーズはタイトルに◆がついています。
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プラクティカムが終わるといよいよ卒業。
留学当初の予定では1年したら帰国する予定でした。
けれども日本で勤めていた会社の社長さんが予感していたように、状況は変わりました。私の中で、もう少しカルガリーに残りたい気持ちが大きくなっていたのは就労ビザが出ることを知ったことも理由の一つだったと思います。
ビザの法律はどんどん変わるので、今も同じかどうかはわからないのですが、私がBVCを卒業した当時はカナダ政府が認める学校で1年あるいは2年のプログラムを受講した学生には卒業後にPost-graduate work permitという就労許可証がでていました。
実際に学んだ事を仕事経験を積むことで確かなものにできるようにする目的の上にできたビザで、通常の就労許可証(Work Visa)とは別のものです。
学生だった当時、2008年4月には新しいポリシーが発表されて、ディプロマのプログラムの学生には3年間のビザがおりることになっていました(サーティフィケイトでは今まで通り1年)。
しかも雇用主を選ばないOpen Work Permitということもあって転職がしやすいこと、申込み期限中(卒業後3ヶ月以内に申し込まねばならない)に雇用主を確定する必要がないことなどから、就職活動中のストレスが減るのが今回の変更の良い点でした。
2008年当時、景気は上向きだったこともあって(リーマンショックの直前でした)、就職活動は比較的ですが楽でした。
これも会社がスポンサーにならなくても良いというPost Secondary work permitのおかげです。就労ビザのスポンサーにならないといけないというのは会社にとっても負担なので、そこからスタートする場合は就職活動・就職先にもかなりの制限が出てくることになるからです。
私の場合はその心配がなかったので、安心をして就職活動をしました。
プラクティカムの記事では仕事がすんなりと決まったように書いていましたが、まさか当時の上司のコレットがあんなに熱心に探してくれているとは知らなかったので、自分でも必死になって仕事探しをしていました。
定番なのはインターネットで募集を見つけては申し込んでレジュメ(履歴書)を送り続けること。図書館やカレッジなどで無料で合った履歴書の作り方、面接のうけかたなどのセミナーには積極的に参加しました。
レジュメは知り合いにも見てもらって手直しをしてもらったりして、少しずつ良いものを作っていきました。
そうやって手当たり次第に応募したり、いろんな人と話を通したりするうちに、卒業の直前くらいまでには就職できそうな場所がいくつか見つかりました。
ボランティアをしていた科学館での事務の手伝いの可能性(パートタイム)、就職説明会に来ていた企業での人事関係の事務も面接を終えて条件を放すところまで来ていたし(正社員)、これまたボランティア活動で知り合った人がリファレンスになってくれたおかげで面接とその後の技術面でのテスト(パソコンやMSオフィスのレベルテスト)も受けて結果は良好、という知らせも来ていた仕事もありました(1年間の期間契約)。
そして本命はプラクティカムをした会社の別の部署(Information System)での産休の事務員の代わりの仕事(1年間の派遣契約)。これはプラクティカム中の上司のコレットが取り付けてくれた面接の1つでした。
プラクティカムの体験から、その会社に好感触をもっていたこと、オイル&ガスの会社の給料の良さ、私がカバーするのがジュニアレベルではなくて、中級レベルの事務だったことから、仕事内容の面からもこの会社での事務の仕事に魅力を感じ、この会社のこのポジションにきめました。
日本のように正社員と派遣社員の差がそこまで大きく感じられなかったし、私自身も1年後にビザが切れたら帰国するつもりだったので、派遣という形には不便や不満は感じませんでした。
派遣契約ですが、派遣先の会社が先に決まっていて「うちで働くためにはこの派遣会社を通してね」という感じで、流れとしては逆な感じでの契約でした。
あとで知ったのですが、派遣会社に登録してから派遣先をさがすのは結構大変なようです。とくに初めて登録する場合は派遣会社も登録してきた人がどれくらいできる人なのかもわからないし…ということで、面接をしたりパソコン技能のテストをしたり、それを通した後でも話がなかなか来なかったり…ということがあるようです。
私は本当にラッキーだったのだな、と思いました。
不安だったのは自分の英語の力くらいだったしょうか…。まだ、電話での会話が苦手で不安だったのですが、コーヒー・ミーティングを通して知り合った働く部署のボス(女性の部長さんでした)が良い人で、英語の事は心配しないで一緒に頑張りましょう、と言ってくれていたのが頼りでした。
日本での就職の時もそうでしたが、私は就職をする時期に恵まれています。
日本での最初の仕事もバブルがはじける少し前だったし、カルガリーでもリーマンショックの直前だったし。
これが1年ずれていたら2009年の不況でレイオフがさかんに行われていた頃に引っかかって、就職活動も大変だったのではないかと思うのです。
こればかりは運もありますので何とも言えないですが…前回も書いた通り、人とのつながりって就職の時には重要なファクターになるように思います。
結果的にはこの会社で働いたことで、カルガリーやカナダがさらに好きになって、もっと滞在したい…と思うようになったのだと思います。
ESLから始まって、不思議なタイミングと不思議な出会いに流されるようにしてたどり着いたところでしたが…私にとっては良い流れだったと思います。