引き続き思い出話です。このシリーズはタイトルに◆がついています。
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カナダに行こうと決めてから、カナダにあるESL(英語が第二外国語の人)の学校を調べ始めました。
レビューやコース内容、アクティビティなどを見ているうちに気になったのはバンクーバーにあるグローバルビレッジという学校でした。ここにあった、米国秘書検定(CPS)の対策コースであるエグゼクティブ アシスタント サーフィティケートのコースをとりたかったのが一番の理由でした。
2007年の4月出発の予定だったのですが、このコースは8月が開始。最初の5か月間は通常の英語のコースをとればいいので、どの州にいてもいいけれども、最終的には8月の開校に間に合うようにバンクーバーにいく、という大まかな計画がたちました。
しかし最終的にバンクーバーに行くならば、最初からバンクーバーに行けばいいかな…と考えていた私の前に(バーチャル的に)現れたのは、前年にカナダ留学を理由に退職をしていた元同僚。
彼はスキーが得意で、スキーを本格的に学びたいというのもあってカナダに行っていたのでしたが、元同僚の私たちに、時折、近況と写真を送ってくれていました。
その彼からの近況メールが入ったのがちょうどこのころでした。
返信のついでにカナダ留学を考えている話をしたところ、「それなら絶対にカルガリーがおすすめ。自然度と都会度のバランスが良い上に(これは本当だった)、カナダの州の中で唯一、州の消費税がないので(これは本当)物価が安い(これは大げさだった)」という返事がきました。
カルガリー。
私の中のイメージでは1988年のカルガリーオリンピック。大学入学をした年だった…ということはあれも節目の年だったか。これは縁かもしれない…。
そんな訳で4月から7月まではカルガリーに滞在することにしました。
8月からはグローバルビレジのバンクーバー校に行くことにしていたので、カルガリーでもグローバルビレッジを選択。
そんな訳で都市選びは学校が最初で、あとは経験者からのアドバイスが理由でした。
何故かトロントなどの東側は考慮に入れなかったと思います。イメージ的に東は政治に近い大都会、東京のイメージだったんですね。田舎者の私にはやっていけない気がしていました。
出発まで4-5か月だったと思います。年末年始で帰省をしたときに親にカナダに一年間行こうと思うと伝えました。行き先がカルガリーとバンクーバーというと、仕事でバンクーバーに行ったことがある父は賛成。母もカルガリーオリンピックのイメージが良かったのか、賛成してくれました。
会社に伝えたのは年が明けてからだったと思います。
後日、両親に社長が帰国したら戻ってきてもいい、と言ってくれたことを話すと、さらに安心をしたようでした。
次回は出発までの英語の勉強の話を書きます。