カナダに来て今年で10年。節目の年でもあるので日本を離れてから今までの道のりを忘備録がてらにつづっていこうと思います。
このシリーズのタイトルは全て◆で始めます。
2006年の春。10年続いた結婚生活に終止符を打った私は、ずっと行きたくて行くことができなかったアメリカの友人宅に遊びに行きました。
そのころに勤めていたのはイギリス系の会社でしたが、仕事で英語を使うことはほとんどなかったので(仕様書やカタログが英語だったくらい。あとは日本本社のマーケティングが和訳してくれていた)、付け焼刃で英会話の特訓をしました。
友人はオクラホマ州に住んでいたのですが、特に観光地でもないので税関でも「何しに行くんだ」といぶかられたっけ。友人に会いに行くというと、ますます怪しまれて(不法滞在を警戒したと思われます)、友人との関係や、どのようにして出会ったのかなどを根掘り葉掘り聞かれました。
滞在は1週間と短いものでしたが、日本の都市部では見られないような地平線やビルに遮られない大きな空をみているうちに、離婚や仕事のストレスで落ち込みがちだった私の心に灯りがともったようでした。
たぶん、これがきっかけだったのだと思います。
日本に帰ってきてからは、海外に長期滞在をしたいという思いが膨れ上がっていきました。
「どこ」というのは決まっていませんでした。とにかく遮るもののない空の下にいたかった、というのが原動力でした。
当時の私はイタリア語を習い始めて2年目。ようやく、簡単な会話がリスニングでできるようになっていたし、単語力も上がっていていました。
最初の選択肢は2つ。
- イタリア語圏
- 英語圏
40歳まで数年、という状況でした。会社では事務職でしたが外資系ということもあって年齢や性別での差別はほとんどなくて、経験と実績をみてくれる良い会社でした。主任の肩書をもらって西日本の事務をサポートしてまとめる役目をもらっていて、やりがいがありました。
イタリア…とても惹かれましたが、若くはないし1年は滞在するとなると、戻ってきたときに使える何かを身に着ける必要がある…そうおもって英語圏を選択しました。
出発2か月前くらいになって、退職か休職かの判断は本社に話してくれと言われました。そのときに本社…思えば恐れ多いですが、社長と話をさせてもらって、「1年は長いので退職することになるけれど、帰ってきて働く気があるなら戻ってきなさい。英語の力がついているなら尚更良い」と言ってもらえました。
無給での休職にしなかったのは結果的には良かったです。
きっと先が見えない状況で選択肢を狭くするかもしれない状況を防ぐために、社長は退職がいいと思って勧めてくれたのだと思います(当時は社員の総数が200人くらいだったので、イベントやトレーニングで本社に行くと社長と話すこともありました。社員思いで仕事ができる素晴らしい社長でした。
本当に、いま思い返しても素晴らしい会社でした。戻れるものなら戻りたい…カナダにもこの会社の支社があるので就職できるならしたい…という気持ちです。
日本の社長(今は引退されましたが)からも、数年前には「カナダの系列会社に就職したいならばリファレンスになる」、とまで言ってもらえたのでした。
いまだにオープニングがないのと、カルガリーには事務所がないので(オフィスはオンタリオに、営業所はエドモントンにあります)、応募するには至っていませんが…。
さて、次回は国の選択に至るまでを描きます。