私は心身の調子が悪いと色々なことが頭を巡り、思考がぐるぐるします。
そのぐるぐる思考の中で、自分の子供時代のことを思い出し、
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子供の頃の私は、なんてかわいそうだったんだろう。
たった独りぼっちで苦しんで、我慢して、本当にかわいそうな子供だった。
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という思いが湧いてきて、珍しく涙が出てきました。
ふだん、ほとんど涙が出ないので、涙が出ると感情が解放される感じがして、涙が出る時はたくさん涙を出そうと思います。
が、
次の瞬間、ふと『自己憐憫(じこれんびん)』という言葉を思い出しました。
自己憐憫とは、自分をあわれみ、かわいそうだと思う、という意味です。
ネットで検索すると、
自己憐憫は甘え
自己憐憫は逃げ
自己憐憫はかまってちゃん
自己憐憫の人はウザイ
自己憐憫の人とは距離を置くべき
という言葉を見ました。
これらの言葉を見たら、「自己憐憫してはいけないんだ」と思って、先ほどまで子供時代の自分にボロボロと涙するのはいけないことだったんだ、と思いました。
自戒しなければならないと思いました。
しかし同時に『違和感』と『不快感』も感じました。
何かが違う、この違和感と不快感はなんなんだろうと思いました。
さらに考えていると、動物のことが頭をよぎりました。
動物は自己憐憫をするだろうか?と。
動物の気持ちはわかりません。
彼らが自己憐憫しているかどうかなんて、到底、私にはわかりません。
しかし、心が傷ついた動物のことを考えました。
虐待された犬や猫、飼い主を亡くした鳥…
彼らの心は傷ついて閉ざされ、人間不信になり、
不安・恐怖を感じやすくなり、
サバイバル化し威嚇しやすくなっていたり、
時に己の皮膚を齧ったり羽をむしったり自傷して、
身体は硬くなり緊張しながら生きている。
そんな動物たちを目の前に、
「こいつは甘えてて生きることから逃げてる」
なんて思いません。
傷ついた動物をケアをする時、「人間は恐くないよ、世界は安全だよ、安心していいんだよ」とケアを始めますよね。
緊張がほどけると怪我の治療がしやすくなりますし、だんだん元気になってきて、安心して眠ったり遊んだり、動物の瞳が輝いてきます。
そんなことを考えたら、「私は自己憐憫しているからダメだ、自己憐憫してはいけない」という考えは
『今の自分には適切ではない』
と気がつきました。
たぶん私は不運が重なり、心は傷つき、トラウマ化した記憶がたくさんあります。
子供の頃の自分に「なんてかわいそうな子供だろう。小さな体と心に重くて大きいものをいっぱい抱えていたのだろう」と思うことは、間違いではないと思いました。
己の不幸に、涙を流していいのだと思いました。
自己啓発は、その時その時で自分に適したものを選ぶ必要があります。
精神疾患や、心に傷(トラウマ)を持っている人は、特に気をつけなければなりません。
ただでさえ客観視や判断力が下がっていますし、必要以上に自分に厳しくしてしまう傾向性があります。それが病を深くしてしまう場合があります。
むやみやたらに優しくするのがダメな時もある
むやみやたらに厳しくするのがダメな時もある
人の心は
生き物の心は
瞬間瞬間で変化し、多様です。
ずっと同じ状態というのは、ありえません。
よく観察し、よく分析しなければなりません。
そんなことを、改めて思うのでした。