週末の雨で 桜の花びらがひらひらと落ち・・・

桜並木のしたに
まるで 桜色のじゅうたんが敷かれたようです。
そんななか 新学期が始まったのですね。

私が 学校というものを卒業してから
もう30年にもなりますね・・・

今までも 『学校は好きじゃなかったなぁ。。』 とは
思ったことがあるけれど
最近になって
『私 学校が怖かったんだ!!』って 気がつきました。
身体が小さくて おまけにのんびり屋さんで

小学校の頃は 何をしても
みんなと同じようにはできず
みんなについていくことに必死で
いつもどきどきしていました。
先生に叱られないようにふるまうことに
気を使っていました。
特に大きな声で怒鳴る 男の先生は
私にとって 怖すぎる存在でした。
そんな先生に できていないことが見つからないように
もしかしたら ビクビクしながら
目立たないように頑張っていたのかもしれません。
なんでもできて いつも先生に褒めてもらえる友達は
うらやましくて
私とは違う存在・・・だと思っていました。
からかわれると どうしていいのかわからず
すぐに泣いてしまうので
さらにからかわれる・・・という悪循環で・・・
先生のみならず クラスのリーダー的な子や
特に乱暴な男の子は 怖くて嫌いでした。

(そうはいっても 私より弱い子を泣かせたこともある・・・ブラックとこりんもいたけれど)

学校という 大きな大きな空間も
自分の小ささを 強く感じてしまう苦手な場所。

だからか 今でも狭くて小さな居場所に安心します。
そんなちっぽけな
自分はついていけないダメな人と
自分のことをそう思っていた わたしが
気がつくと
たくさんのできないことや 苦手なことを
がんばって克服して学校の先生になっていました・・・
しかしながら 克服したといっても
体育や 体育館みたいな大きな空間や・・・
もともと苦手なものは 好きにはなれないもので
違和感を感じつつ 仕事をして
結婚したときは 完璧主義も手伝って
両立は限りなく苦しいものになりそうだと思って
先生という仕事を捨てました。
なのに それからも何度か先生に戻ることになり・・・
その度に ずっとずっと 朝
大きな学校の 職員玄関をくぐる前には
一息大きく深呼吸してから ドアを開けていました。
私はもう
大きな(身体は今でも小さいんだけれど) 大人なのだから
仕事は少し力を入れて 頑張れば
それなりにはできるわけですが
大きな空間に 寂しさを感じたり
大きな声の先生にビクッとしてみたり
給食が食べられない子どもに 厳しく指導できなかったり
昔のちいさな自分を思い出してしまっていたのでしょうけれど
そうとも知らずに 自分にダメだしし続けていたので
苦しさは つきまとい
とうとう辞めたのでしたね。。。
なぜそんなに苦しかったのか
つい最近まで 自分でわからなくて
私はなまけものなのだと 思ったりしていました。
先生になったのも
父親を喜ばせたかったらしいというのも
自分のことなのに 知らなかったのです。。。
学校が怖くて 好きじゃなかったのに
学校で習ったように
苦手を克服することが 素晴らしいことで
そうすることが 成長で 勉強で
何事も そうしなければならないと思ってきた私。
克服することに挑んで挑んで
頑張り続けてきた わたし。
あぁ~~よく頑張ってきたよね わたし。
もうお父さんの期待に応えなくてもいいんだから
できないこと…克服しなくてもいいんだから
のろまのままで いいや

このままのできない私で いいや

じゃあ 何をしたい わたし?
好きなことを 追及してこなかったから わからないのかな
