星空 前回のブログを書いた後

  『頑張らなかった自分を後悔するのが嫌だった。。。

   何か悲しいことが起きても 
   その時には 
   せいいっぱい自分は頑張ったんだと思いたかった。。』

そんな想いにとらわれている自分に 改めて気づきました。


  『私は 責められたくないから 頑張ってたんだ。』

  『私は責められた時に言い訳できるように 頑張っておきたかったんだ。』
  

今更気づいた その想いで頭がいっぱいになって

夜 一人になってから お風呂で泣けてきて汗汗汗

  「わたしを責めないで!! 私のせいじゃない!!」

    と ひとり そう言っていました。


晴れ 一日明けて 昨日になっても

小田日和を聞きながら 車を運転していたら 泣けてくる汗汗汗

  「わたしを責めないで!! 私のせいだと言わないで!!」

そんな気持ちになって 涙が出てくるので

どうしてかな??と よく考えていたら・・・

忘れかかっていた 昔の悲しかった出来事が 蘇ってきましたしょぼんダウン


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それは 私が小学校5年生の時 女の子

学校のスケート教室で すべれるようになった私は

それがとてもうれしくて
(運動はあまり得意でなかった私には特別うれしかった)

日曜日に友人とスケートリンクへ遊びにいきたいと思いました。

でも 学校の規則で ”こどもだけでは行ってはいけません”

と先生から言われていたので

私の母に一緒に行ってもらうことにしました。

そして 母は 「見ているから」 というのに

その日 私は普段母と遊びに行くことなんてなかったので

すごくうれしくてうれしくて音譜アップ

母に 「一緒にすべろう」 とそれはめずらしく

何度も何度もおねだりして

母も スケート靴を借りて 

一緒にスケートリンクに降りることになりました。

母に 学校の教室で教えてもらったように 教えてあげて 

母も最初は 手すりにつかまって歩くだけだったのが

知らないうちに 手を放して歩けるようになっていて

そんな母を振り返りながら

友達と楽しくすべっていたのです。

が 次に振り返った時!!

母がしりもちをついて 転んでいて

私は 「わーこけた(笑) 」と笑っていたのですが

よく見ると母の顔が 苦痛にゆがんでいて

やがて係員の方が2人がかりで 母を運んでいって・・・

そこから次の記憶は 病院のレントゲン写真まで とんでいるのですが

母の右足のレントゲン写真は

右足の太い骨と細い骨 2本ともが

スパッと 竹をななめに割ったように 折れていました。

かけつけた父や 母の父母・・・

その時に祖父に 「おまえがそんなところに連れていくからやで!!」

と言われて泣いている私が 暗い病院の中にぽつんといました。


あの時 母と遠くまで遊びに行くというのは 

初めてというくらいの記憶。

きっと保護者としてついてきてもらうことを

何度も何度もお願いしたと思う。

そして 母にスケート靴をはくことも 何度も何度もお願いした。

そして叶った 楽しい時間。

しかし そのものすごく楽しかった時間が!!

一瞬で とても大変なことになってしまった。。。ダウン


母は 緊急手術をして そのあと半年も入院することになりました。

今のようにリハビリも充実してなかったんでしょうね。

父は仕事で朝早くから夜遅くまでいないので

私と弟は 父方の祖母の家に預けられることになりました。

学校では 授業中に 急に脂汗が出るくらい 

胃のあたりがキューっと痛くなる発作が 襲ってきました。

そんなことも 今改めて思い出す。


そして 半年後に退院して帰ってきた母は

入院前の母とは 様子が違っていて

元気がなくて ため息ばかりついて・・・

6年生になっていた私は

学校が終わっても 家に帰るのがつらかったな。

母は 今思うと あの時鬱のような症状だったのかもしれません。


私は 心の中で 『私のせいで 大変なことになった』

   『楽しいからって喜びすぎたら あとが悲しすぎる』 

と思ったのかもしれません。

母の手術痕と 細くなった右足を見るのがつらかったな。。。


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「お母さん ごめんね。 私のせいじゃないよね。」

「お母さん お父さん おじいちゃん 
 
  私のせいって言わないでね。お願いだから。」

もうあれからずいぶん経っているけれど・・・そう言わせてね。

前に進みたいから。。。汗汗汗


そして もう

「責められてもいい!!」

「完璧にやらなくてもいい!! 責められないから。」

「うれしい時には 100% うれしがろう!!
 悲しいことは 起こってから100% 悲しがろう!!」

そう言ったらいいのかな? 汗