私の 旦那さんは 心臓の病気を持っています。

病気がわかったのは 結婚して4年目のことでした。

当時 長女が3歳になったばかり

二女はその年に産まれて 0歳4か月・・・

もうすぐ離乳食をはじめなきゃ・・という頃だったと思います。


旦那さんの弟が 心筋梗塞で倒れてしまい

旦那さんも 念のためと 検査を受けた結果

「拡張型心筋症」という 聞きなれない病名を

お医者様から 聞きました。

「現在では 治療法のない 難病です。」

「障害者手帳を・・・」

「予後は 厳しい・・・」


聞いていないのに お医者様が どんどん説明してくれるのが

とっても悲しかったのを 覚えています。汗


後日 改めて 旦那さんのいない時に

お医者様に 会いに行きました。

そこでも

「5年後生存率は・・%  10年後生存率は・・%

 不整脈がかなりあるので ・・・

 最終的には 心臓移植しか・・・」

と それまで無縁だった 数々の言葉に 衝撃をうけました。

『5年後なんて・・・・この子たちは何歳?』

と 今まで考えたことのない思考をしなくてはならなくなった

私の頭の中は パニック状態で 

なんとか冷静に・・・と自分に言い聞かせながら

娘たちを連れて帰りました。。



娘二人を授かって 幸せな毎日だったのに・・・と

今振り返ると この時から 

私の幸せは 過去形になることが多くなっていきました。


旦那さんの身体は 外から見ても 元気な時と何もかわりません。

しかし 走れない 重いものを持てない 運動はできない

暑い季節 寒い季節 は注意  お風呂の温度はぬるめに・・

食事は減塩食・・・コレステロールの制限も・・・

栄養士さんの指導を受けて 食事を作り・・

いろいろな制限が 急にたくさんできました。


お塩はもちろん お醤油もお味噌も・・

すべて計量スプーンで量って 塩分計算をして 料理を作りました。

今みたいに 外食の成分表示がそんなになかったので

お昼のお弁当も含めて 一日の塩分制限内で食事を作りました。


しばらくすると キッチンが実験室みたいに見えて

朝 起きてから キッチンに行くのが 

すごくつらかった時期がありました。


ほどなくして 旦那さんの弟が 亡くなって・・・

私は もっともっと 私が 注意してやっていかないと

旦那さんが 死んでしまう!!!

と 怖くなっていったのかもしれません。



完璧になんて できっこないのに

私が完璧主義をめざしたかったのは

こんなことからだったのかもしれないなぁ・・・。

何度も 何度も挫折して もう今はめざしてないよ。



そして友人から 「幸せな結婚をしたね。」と

言ってもらっていた私は 見栄っ張りを続けるためにも

黙って頑張ることで 幸せそうに見せる生き方を続けてしまいました。




そして 幸せそうに・・・見せたかった・・・

ということは

私は 幸せでなかった・・・

そう

旦那さんの病気のせいで 幸せでなかった・・・

と思っていたということになります。


病気=幸せではない=○ではない=×


そのほかにも 旦那さんに×をつけていました。

義理の家族から守ってくれない×

「なんとかなるわ」と適当な返事をする×

会社がうまくいかない×


そう・・・私って 「私は」「私が」・・・って

私はこんなに頑張ってるのに 幸せじゃない 苦しい・・・って

自分のことばかり考えていた 腹黒女でした。

旦那さんのことを 信頼できていなかったんです。


そんなんだから 長女は 出ていったんだよね。今ならわかるよ。


そんな腹黒い私なのに 旦那さんは 今でも私を見捨てません。

優しい旦那さんは お医者様の予想を裏切って

あれからもう24年も 生きてくれています。

ありがとう そして ごめんなさいドキドキ
気づくのにずいぶん長くかかってしまいました汗汗汗