言葉 | はんなのはんなりblog*〜日々のことや育児のこと〜

はんなのはんなりblog*〜日々のことや育児のこと〜

2013年、35週でおなかの中で赤ちゃんとお別れしてしまいましたが再び授かることができ、2015年に元気な女の子を出産しました。
アラフォーの迷える日々のことや、プロテインS欠乏症(不育症)で世間の少数派に入り、そこから見えた世界のことなどを書いています。

(また落ち込む内容です。すいません。)


一瞬忘れていても
また思い出す

意識して打ち消さないと
そのことばかり考えてしまう

そんなことがあります。

さっきも料理していたけれど
頭の中でずっと回っていて
どうしても吐き出したくなりました。


死産後にかけられた言葉。


出産後
赤ちゃんと私に会いに来てくれた親戚から
帰り際に軽く、少し困ったように笑いながら

「ま、気を落とさずに。」

と言われたこと。

「そんなこと無理!」

と言い返しました。


祖母からは
母方の叔母に私が手伝ってもらっていることに抵抗があるようで

嫁いだのだから叔母ではなく
お姑さんを頼れと何回も言われたこと。

親戚に気をつかって
私を一人にして帰って行ったこと。

お坊さんからも
義母を立てろと言われたこと。


祖母はいつも赤ちゃんと私のことをとても心配してくれて
相談にも乗ってくれていました。


妊娠中、私が祖母からの着信に気づかずにいると
主人の実家にまで電話をかけて来て
何もなかったこと、すごくほっとしてくれていました。。


だからこんな時は世間体よりももっと私の気持ちと体を心配してほしかったと思ってしまいます。


父に四十九日の連絡をしたら
「元気にしてるんやろ?」
と、明るく言われたこと。
「元気なはずない。」と言うと
「元気出さないとダメやろ~。」
と言われました。

時間を伝えると
「早いなぁ・・・大丈夫かなぁ。」
と、迷惑そうに言われたこと。

後でメールして、
「早い時間で悪いんだけど、おじいちゃんなんだから息子のために来て欲しい。」
と伝えました。


祖母、父、親戚は
何も連絡してきません。


私のことは主人にまかせっきりです。


心配してくれてるんでしょうし
なんと言ったらいいのか分からなくて
困らせてしまっているとは思いますが

息子の顔を見ているのに

命が旅立ってしまったのに

言葉をあまり選んでもらえていないように思えて
自分との温度差を感じて悲しくなるのです。


かけられる言葉は
仕方ないものなのでしょうか。


死産後一ヶ月も経たないうちに元気になったり
出産直後から自分の立場を考えたりしなければいけないんでしょうか?


この中には妊娠、出産中に辛い経験をしている人もいて
自分の時のことはとても辛かった悲しかったと
年齢を重ねている人から私は何度も話を聞いているけれど

何年経っても乗り越えられない悲しみだと分かっていても
言葉にするとこうなってしまうんでしょうか。。

せめて、今は悲しくて当たり前だよ
と、言ってもらえたら...
もしくは息子について話したりしたいのに

私の意識が息子に向かうことを
止められているように思えて辛いのです。

考え方なんでしょうね。

私に早く普段通りに戻ってほしくて
励ましてくれるか

私の気持ちを思いやって
好きにさせてくれるか。

前者を突き詰めて考えてみました。

なぜ私に普段通りに戻ってほしいのか?
→落ち込み過ぎて私がおかしくならないか心配
→見ているのが辛い
→早く気持ちを切り替えることが私のためだと思っている
→どう接すれば良いか分からず、きまずい

こういうことなのかな
と考えたりしますが

私からすれば断然後者の方が有り難いです。

気を落として元気が無いのが当然だと思いますし
周りの人を安心させるために元気なふりをすることもできません。
気持ちを切り替えられるのは人に言われることではなく、自分がそう思えた時だと思っています。
私のことを本当に心配してくれているならば、励ましの言葉だけかけて立ち去るのではなく、私の気持ちを聞いてくれたり
そばにいてくれたり
なにか態度や表情に表れるのではないでしょうか。


ただ、家に来てくれている叔母だけが一緒に泣いてくれます。


「なんでやろうねぇ」と言いながら
背中をさすってくれます。


運気が上がるようにと
オレンジ色の花の鉢植えを買って来てくれました。


一つ一つのことが有り難いです。


もう一人の祖母は手紙をくれました。

息子の生まれて来る予定の日は
結婚記念日の前日だったので

祖母と叔母は
手紙と一緒に結婚記念日のお祝いをくれました。

毎年誕生日や結婚記念日にはお祝いを頂くのですが、今年も変わらずに祝ってもらえて
心遣いが、なんだかすごく嬉しかったです。


グリーフケア(悲嘆回復)という観点から
死産を考えられているブログを拝見し、そこにはこうありました。


”死産や流産など周産期の死は
「公認されないグリーフ」になるケースが多くあり
語られない死の様相を呈する事がしばしばです。”

”「まだ生まれていなかったから」と子と親との関係性は「無かった事」にされがちですし、
生まれなかった子供は「次の子供で取り替えがきく」存在だと考えられがちです。
その死が早かった事を「障害が残るよりよかった」と全く勘違いの慰めの声をかけられることもあります。”


”すでに医師からおなかの中の赤ちゃんは死んでいる事、助かる事はないという絶望的な告知を受け、親は悲しみの底にいますが、そこでその赤ちゃんを「出産」しなくてはいけない、という事実を母親はどう受け止めるのでしょう。

(中略)

どれほどの母親が孤独、絶望、怒り、悲しみと自責感のうちにこの経験をしているでしょうか。”
(*一部引用させて頂きました。)


全くその通りだと思いました。

「また赤ちゃんできるよ。」

「障害が残ることを思ったら良かった。」

どちらも言われましたが素直に受けとめられませんでした。


それに、なかったことにされないかというのが一番不安です。


私が回復して行って元気そうに見えたなら

息子のことはどう思ってくれるでしょうか。


私達夫婦二人の中で息子は存在し続けるし
ずっと大事にして行きます。

当事者でないと分からない気持ちでしょうし、ほかの人に求めても仕方のないことだと分かってはいるんです。

私が未熟だから、心配してくれている人に対してこんな風に思ってしまうと言うことも。

今までも気に掛けてくれていたし
お世話になって来たし
いい人達ばかりだということは分かっているんです。

そしてそんな風に思ってしまう自分に対して、だめだなぁと思っています。

心の中で息子に
「お母さんまだまだやね。成長しないとあかんね。」
と話しかけたりしています。

ただ今は自分に余裕がないと思います。

辛いと打ち明ける人も
主人のほかに思い浮かぶのは
カウンセリング外来をされている看護師さんなんです。

まだ他の人には会えないな…

こういう気持ちはだんだん薄れて行って
妊娠中や息子に会えた時の幸せな気持ちや
主人や息子への愛情ばかりを感じられるようになれば良いのにと思います。