PCが不安定になり、UPしたと思っていたら消えてしまっていたので、
再び同じ記事を書こうと思います。
さっきのように書こうとしても、少し違ってしまう気がしますが…
最近は、同じ経験をされた方々のブログをよく読ませて頂いているのですが、
赤ちゃんとお別れしてしまって、私よりも少し時間が経ってらっしゃる方のブログに
ご夫婦で出かけたり、お買い物に行かれている記事があって
それを読ませてもらうと、ふと、楽になれたような気がしました。
息子は亡くなってしまって、もうできないのに
私だけ出かけたり、楽しんだりすることを考えると罪悪感を感じますし
私が悲しまないで、私以上に誰が悲しんでくれるだろう
息子がかわいそうだ、と思っています。
でも、その記事を読んで、
悲しくて胸がつかえる気持ちはずっとあるもので
行動に全て反映されるわけではないな、と思いました。
私が出産した病院には、精神看護専門の看護師さんがいらっしゃって
息子がこうなったと分かって、主人と一緒に医師の説明を受けた時から
来て下さっていました。
入院中、その方に、
「何もしたくない、これから先、何も楽しいと思えない、希望もない」
というようなことを伝えると、
「今はそれが普通です。むしろ、説明を受けているとき、冷静で驚きました。」
と言われました。
妊娠中に楽しいと思えていたことが
今はそう思えないということがあります。
これから先、今までと同じことをしても、感じ方は違っていると思います。
しかし、数日前主人に、
「これからまた不妊治療を始めないといけない。授からなかったらと思うと怖い。」
と言うと、
少し考えて、
「まずは夫婦二人でなにか楽しめることを見つけよう。」
と言われました。
肩の力を抜いて、不妊治療は特にせず、普通に生活していた
そんな時に、息子は来てくれたから、と。
塞ぎ続ける私を見ると、主人は辛いと思います。
塞ぎ続ける主人を見るのは、私も辛いからです。
なにか二人で楽しめることをしたいな。
そう、素直に思いました。