ノイジーマイノリティ(騒ぐ少数派)とサイレントマジョリティ(沈黙の多数派)の裏は。
 戦争に反対し平和を訴えるのは、誰しも同じだ。これは決定的大多数のはずだが、表立っては公言しないサイレントマジョリティだ。戦争が嫌でも、自分は「戦わない」「戦えない」とは言わないし、体制に反対しないのだ。
 ただしこの中で、街頭デモすら起こして(しかもけっして暴力に訴えず、ましてや混乱に便乗し、略奪暴行なんかをしないだけのモラルがある)反戦を訴えるのは決定的少数派だ。
 そうした人間は戦争を否定しても、自らは「戦える」人間だから。ノイジーマイノリティといえるだろう。
 
 反対にネットの匿名の影に隠れて得意気に好戦的な発言ばかりするのは、戦争に賛成しても戦争へは行かない「戦えない」人間が大半だ。こうしたものがいくらネットで多くても、ノイジーマイノリティである。
 
 一部の「戦える」人間だけが自衛隊に志願するし、むしろ彼らだって大半は戦争に反対しているのである。あくまで平和を守りたいだけの有志。自衛隊が志願兵制でなら存在の意義は大きいが、徴兵制なら恐ろしいことになる。
 
 いま与党は危険な方向に傾いているが、それがこの国民の意志か? 選挙で勝った、それがなんだ。投票率を見れば、与党は決して過半数の国民が支持していないことは明白。
 単に現在、支持すべき政党が無いから投票率が下落する一方なのだ。投票しなかったのは、与党を支持するかどうかはともかく、戦争を肯定するサイレントマジョリティなどではけっしてないはず。
 
 私見だが、ここに現代の民主主義制度の限界点がある。国民に与えられるのは、単に代議士と政党を選ぶ権利だけ(間接民主制)。政治家が公約を守るかなんてないがしろに常にされる。
 しかし、善政は敷かれているのだ。いまのところ。この国は近年外国に例をみない豊かで自由なユートピアだ。なにより平和。それが壊されるのが恐ろしい。