来月15日……大きな節目の終戦記念日が近づいてきた……ここに私見を。
 
 いまどきネットでは現政権・体制の批判や異国の賛成をしたものや凶悪犯罪容疑者は、国籍を剥奪されるらしいな。これでも自由民主国家と言えるものか!
(いまのところ、政府はそこまで悪くない。この自覚なく低俗なのは雨風呂ニュースに集う、主戦論者のネトなんとかだ)
 
 
 いまはともかく昭和時代のヒーローものの悪役といえば、世界を支配したい、という野望の持ち主がボスなのが定番だった。
 ボスはその目的のために社会に手下を繰り出して悪事を成し、ヒーローが現れて戦って勝ち、ハッピーエンド……という算段だ。
 この図式に当てはまらなくなったのが、いわば1stガンダムとかなのだが……たいていのコアなファンは敵側を支持するのが皮肉な図式だ。
 
 
 ここに問う。なぜ戦わなければいけないのか?
 
 愚問だ。戦うのに理由はいらない。しかし、戦いたいと願う。
 戦って勝利することに生きる意味や価値を見出すのが自然な人間なのだ。
 
 愛国心から来た国民の自由意志をもってしての戦争など、まだ数世紀の歴史しかない。過去の戦争とは常に支配者のお遊び、兵士とはゲームの駒か掛け金だった。あるいはこの事実は現代でもそうなのか。
 
 とはいえ近代社会にある意味戦争なんかで戦うべき敵などいない。故にその情動のはけ口として、異分子を見つけては吊るし上げる。
 これが子供時代から連綿と続くいじめであり、そいつらは自分に悪意はないし、罪など感じないから叱られると逆上する。
 
 社会は完璧にはならない。常に無知な戦いたい民衆の情動を、発散させる場所が欲しい。
 だからIなんとかの問題も、宗教が悪いのではない。利用するヤツらが卑劣なのだ。敵味方双方に信仰心なんかない。ましてや自爆テロを敢行するものは信仰厚いが、片面だけの価値観を信じているだけ。
 
 
 なまじ学があるなら歴史その他を知り、一面的な国際観その他価値観に陥らないから、戦争に反対する。そうしたものは多々として、練達を目指し社会的地位に就くことを目標に努力する。社会を変えるために。
 しかしこれを自然に身に就ける若者など少ない。そして教えられたものならこれを理解しなくとも利用したいと思うものも出る。
 
 ましてや上から無理やり押し付けられたものなら……おそらく多くは野望に転じる。自分の力を世に試すべく、危険な火遊びをしたいと願うだろう。栄誉などという虚構のお飾りを身につけたいために。
 
 
 ……と、走り書きをしておく。本来小説用に練っていた案だが、私にはこれをスマートに描く文才が無い。