この春一季節送らせて実地された、『葬儀』に参列してくれた人は少なかった。その時の戦争において、指令拒否で処刑された共和国将軍の葬儀……表向きは首都の市民はだれも参加しなかった。
 しかし少年は違った。墓……名前なき兵士たちの共同墓石に静かに花束をたむける。首都で『乞食たちの王』と目されるかれは鬱々と思っていた……
 ……人は誰しも、だれか一人の幸せのために生きられれば十分なのに。なまじ高潔な人はこれが万民平等にと理想にするから、事態がおかしくなるのに、と。
 万民共通では最大公約数(基本的な算術は農奴だった過去に学び……否、盗んでいた)を求めるしか方法はないから、結局異端も不公平も絶えない……

「……世界に戦争絶えないわけだね」
 独白してから、はっと誰にも聞かれなかったか危ぶむ。
 次いで少年とこれらを機に知人となっていた中年男性――実は海戦の英雄の共和国海軍の退役将官――が花を送っていた。それから極秘に裏街道の顔役の長男長女たちもなんとお忍びで来ていた。
 他は乞食の王の取り巻きが数名……そうそうたる参列者に粗相がないはずの、信頼できるごく内輪だけ、も。
 
 式は厳粛な内に終わった。最後に清算を済ませる。葬儀費用には金貨単位で金が集まっていた。それがしかも全額(自分の出資分含めて)自分の懐に入るとは。この事実に取り巻きのみんなは目の色を変えていた。
 少年――乞食たちの王――は、ほんの数カ月前までまさか自分が金貨を当たり前に扱える身分となるとは思わなかった。これならいつかの勲爵士のお嬢様……が、たかが魚一尾に金貨支払おうとしたのも解る。

 金持ちは金銭感覚が違うのだ。余裕で食べていける身となると、自然我欲は他に向く。衣食住が整えばあとは直接生活に関係ないぜいたくを好むようになる。
 ゆえに。無慈悲、というか無理解な世間の民衆にけっして迎合するわけではないが、ほんとうは自らの下に就いた乞食たちのほうがもっと危険だという事実があった。
 働きもせず――否、働けないのが過半といえ――他人に依存してしか生きられない路上生活者の願いをすべて叶えていたらお金がいくらあっても足りない。
 しかし単に生きるだけなら食べ物は分け合えば満ちるもの……対して奪い合えば足らなくなるのがこの自然の掟なのだ。
 取り巻きには、とりあえず銀貨一枚ずつ握らせる。それだけで余裕で四週間暮らせるのが、乞食の生活水準なのだ。彼らは嬉々として路地裏に帰っていく。浮かれ過ぎて他のごろつきに奪われなければ良いが……
 
 帰路につこうとすると、いきなり退役将官は乞食の王に「どうぞ」とさらりと一言し麻袋を手渡した。
 乞食の王にはその袋を片手に持ち少し揺らすだけで、即座に容量と重さから中身を察せる見識があった。この重さは純金貨以外にありえない! 葬儀費用なんて比べ物にならない。百枚以上だと?
「閣下!? このお金は……」
「小覇王陛下とお呼びするべきかな」諧謔ぎみな退役将官だった。「家内が洋裁家なのです。みんなからの出資で晴れ着を作ってもらった代償の、陛下の正当な取り分です」
 退役将官に紹介され。妙齢のとびきり上等な美女が、戸惑う乞食の王に挨拶していた。
「はじめまして、裁縫家なんてとんでもない。わたしはただのもとお針子です」
「単なるお針子にできる仕事ではないさ」退役将官はそう、妻に語りかける。「絹のドレスを女騎士に献上するのだからな」
「女騎士?」

 はっと乞食の王は思い出していた。あのときの勲爵士の少女剣士かな? 仮にも民衆主権の共和国にいて上級騎士とは皮肉なものだが。
「絹製となると通常の市場では、これだけ支払ってもとても買えない。ここはきみ……陛下から贈答してもらいたいのさ」
 お針子も同意した。
「光栄です、『妖精の女王様』に献上するだなんて」
 妖精の女王か……あの『盗賊都市』の女提督。あの都市は一歩近付くことに命の値段が銅貨一枚分下がるとかつては危険視された。もっともこれは景気と金払い好い行商隊とかにいわせるとの話だ。並みの農奴ではもとから銅貨の価値もない。
 そんな環境の子供が生きるにはなんらかの『力』が必要だ。肉体の力であれ内面の精神、意志であれ外見の魅力であれ交渉の話術であれ……
 それらの美徳がすべて備わっていると見なされたから、少年は若輩にして乞食たちの王になったのだ。

 しかし……問う。
「あの女王様は戦死されたのではないのですか?」
 答えはなかった。かわりに悲しく困った顔をする退役将官に顔役の長男たちだった。これに追及するほど見識は狭くない王だった……
 
 この『理由』は目的地にあったことが、自慢の若い早足で進んでも一週間掛かった旅の末判明した。道中一人、護衛もなく乞食たちの……『無冠の王』は数本のナイフと投石紐の他は武具らしいものなど帯びず無事に歩いた。治安は格段に良くなっている。
 たどり着いた王国都市は見事に管理行き届いており、民意と士気の高いのが解る。乞食の王は誰何されるや、上等の石造りのそれも王宮の広間へ案内された。
 そこでは先日の勲爵士の少女が声高に叫んでいた。
「私はまたも国に裏切られたのだ! あの卑劣な太守め! まさか王国都市へ腰入れせよなどと……この私を!」
 王国の王ならぬ、商船隊を率いるという総督はやれやれと語っていた。
「まさか貴女と俺が政略結婚とは驚きましたよ。愛の無い結婚は矜持に掛けてお辛いでしょうね。俺は無理にお引き留めしませんよ」
 愛の無い結婚? 愛とはなにかな……単に情動なら知っている。それを他人に見せ聞かせるのは厳禁ということも。とりあえず声をかける。

「女騎士さん、お久しぶりです」
「おまえか……先日はお世話になったな。こうも旅先で見知った相手に逢えるとは、この国も小さいと見える」
「無礼な! 餓鬼どもそこに直れ!」
 総督は激発していた。乞食の王は驚いた。それまで紳士的対応だった、一見沈着冷静にして理解ある温和な大人に思えたかれが何故?
 しかし総督は怒りあらわに吠えている。
「総督足る俺に先にあいさつしなかったのに加え、女提督閣下の大恩ある王国都市を共和国と同一に「この国」「小さい」などと侮辱するとは! 不敬罪は禁固刑に該当する。近衛兵隊! この二人を捕らえよ」

 たちまち大勢の近衛兵が乞食の王と勲爵士の少女に殺到していた。こんな理不尽……? 総督は明らかに好意と解る、悪戯な笑みを浮かべていた!
 うやむやのうちに、少女の手を取り王宮を必死に走り逃げる乞食の王だった。重厚な板金鎧(時代錯誤!)まとう近衛兵は追ってこられなかった。
 つまりこれって始めから両都市上層部に作為されていたのか……罠にはまったな。つまり自分は乞食の王として、勲爵士の少女を娶り王国と共和国、友好の懸け橋とする算段! 謀られた……
 
 走り息を切らし、逃げ切ったとき。都市の外の街道で、一休みしようと、背負い袋を下ろし中の水筒と携行食を取りだした。が、この時絹織製の純白のドレスまで出てきてしまったのは失態だった。少女は鋭く聴いてきた。
「このドレスは……私向けか。なんの嫌みだ!」
 叫ぶやこの少女は空中にドレスをぶん投げ、愛用の小太刀居合抜き一閃! まさに瞬殺である。ドレスはこの少女騎士の小太刀で――悲鳴のような絹を裂く音を初めて聞いた――何回もズタズタに切り裂かれてしまった!
 そのまま鋭い目で一瞥し、軍靴の足音荒く立ち去る少女騎士。小売価格では金貨五百枚はするはずの絹のドレスを……事実を述べて説明する間もなかった。

 つくづく誤解は重なり、人とは行き違うものだ! なんたって行き違いから「い」を抜けば、禁止用語のなんとやら、だからな。
 いささか馬鹿みたいな思いで、街道にぽつりと取り残された少年だった。異国では乞食の王の地位もなんら通用しなかった。あまりのことに涙も出ない。
「戦争止まぬわけだ……」
 この独白だけは、誰かに聴いてほしかった。

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