話は過去に戻る。物語の舞台となる王国……小さな島国のこの地。南北に島は伸び、王都はそのほぼ中央、東海岸沿いの半島を形作る岬に守られた形で位置する。
『守られた』というのには理由がある。この島は地震頻発し、数十年に一度は大震災が起こり、おまけにそれが引き金となり(この事実は往々にして忘れられているが)津波が海岸沿いを襲うのだ。岬は堤防となってくれる。
故に古くからこの島の建築技術は発達した。地震で壊れない頑丈な設計だし、浸水しても耐えられる作り。石造りの城や邸宅どころか、農奴の住む質素な草木の庵すらしっかりしたものだ。
これはいまや国交が稀にしかない海外の大陸の列強、帝国にはない技術で、小国ながら王国は堅牢な守りを誇る。
しかし異国どころか国内ですら紛争絶えないのが現実だ。ゆえに痛ましい歴史は都合良く忘れ去られているのだが……
王国内部はさらに細かく五十ほどの州に分割統治され、おおむねどこもその都市部に人は集まり、郊外、つまり農村漁村の田舎は過疎化している。
やはり人気があるのが首都、つまり王都だ。王国の人口の、一割以上が集う。これに関しては比類ない数値だろう。農奴階級に比べたら、町民は決定的に少ないのだから。
そんな王都はぜいたくに意匠をこらした石に煉瓦造りの中央の王城を始めとする煌びやかな高い楼閣から美しく連なる。放射状に伸びる大通りの、華やかな表町商店街、金持ちの住む高級住宅街で賑わう。
しかし裏街道に入れば陋巷もいいところ、治安も悪ければ貧民があふれている。改革が求められ、そして改革はやってきた……それが前述の解放戦争だった。
そんな社会体制下の庶民の生活水準はまるでかつかつだ。土地に縛られ土地とともに売買される自由と権利ない農奴――人口の圧倒的多数――など一日銅貨一枚ていどの生活しか送れない。肉料理など夢のまた夢で、彼らはふだん、自ら栽培する麦や米すら食べられず雑草のような雑穀のおかゆをすすっている。
農奴にとっては植物を煎じたお茶すら金持ちの飲み物だ。もっとも穀物を発酵させたドブロク(にごり酒)は多々として農奴を取り仕切る豪農地主階層の農民に密造され、街に出回り利権争いの流血沙汰起こるが。
少しはまし、とされる人口一割程度の工員や商人、あるいは役人階層の町民にしても厳しいものだ。真面目に働いていてもお金を得るのは難しく、たいていの市民は銅貨一枚程度で買える相場の、一斤のパンの値段を気にしながら暮らしている。
それでも市民はふだん倹約し貯蓄し、年に数回のお祭りには一気に浪費したりもする。こんなとき大通りは活気に満ちあふれ、商店は路上に屋台を開き大きな経済効果をもたらしている。喧嘩も祭りの華として頻発するので、警備兵たちもおおわらわだ。
王国の経済水準はどうかというと。農奴階級は実質稼ぎの半分は税金に取られる。すると一日銅貨一枚として一年で三百六十五枚、これは金貨に直すと一枚半となる。農奴は全土に四百万人はいるから年間で金貨六百万枚が王国の収益となる単純計算だ。
街の民の経済水準はもっと上だから、単に金額的にはもっと多くのお金が王国に流通する。しかしそのすべてが有効に消費されていることはない……もし理想的ならば、なぜ飢える人が出る理屈か!
これが実態の把握を普通の人は決して公式には教えてもらえない経済というものだ。『経済』。この馴染みのない単語はたいていのひとが魔物みたいに思っている。
ともあれ首都の心臓部といえる王城は戦乱時長期間立てこもれるように、格納庫は幾所もあり食料、燃料、医療器具に武装などの物資が保管されているし、武具や金物を修理できる工房すら整備されてある。
反面城の中には礼拝堂はなかった。質実剛健、機能一点張りの設計だ。指揮官の意図か、職人の技かな、と王国の兵士や役人とかは思案していたが。これに関してははるか過去の書に、『政教分離』とあることをいまは誰も知らない。
それともいざというときの戦禍を避ける目的か、大ホールのある教会は王城の外に隣接して、税に贅を費やし大きく構えてある。若い下位の神官は武装し、神官戦士隊として平民を律する。職権の重なる王国警備兵との摩擦軋轢もあるが。
王城は会議室が作戦会議用の他にもいくつも大小の部屋がある。そこは書庫も兼ね、各種の本が並ぶ。自由貸し出しで城内の誰しも戦略戦術論に歴史や数学、科学知識を学べる。
とはいえなまじ上流家庭に文盲は多い。そうしたものは書記官を頼る。
王城の櫓には矢を射る狭間といまや監視にしか役立たない銃眼(古代の小銃を鋳造する技術は衰退し、王都すらほとんど銃はない)が胸壁に並ぶ。そうそうたる構えだ。
ここを簡単に放棄するなんて、凡庸な指揮官にはできないことだ。こんな王都を解放軍は陥落せしめたのだ。
なぜって解放軍は自動小銃を使っていた……虚ろな歴史によると時代が進化し、火器の発展により守るより破壊するほうが、はるかにたやすい技術になると築城術など陳腐となる。これを把握すれば優先すべきはなにより人命だ。
塹壕を掘って土嚢を積み上げ前線とする泥臭い戦術が皮肉にも近代戦だ……と、歴史にはあるがこれも忘れ去られている。
歴史的には冶金技術の進歩で甲冑が作られたが。皮肉にも小銃が同時期に台頭したから、騎士は無敵とはなれなかった。騎士の甲冑といえば一財産だが。
過去騎士に流通していた鎖帷子(総板金の甲冑が出るのは考証間違いである)には並みの刀の刃は通用しないものの、突く槍は貫通するし、重い剣なら打撲を与える。
分厚い皮革鎧は単なる長剣で切りつけてもなかなか切れなかったが、反った片刃刀なら一刀両断に斬り裂くことができた。まあ重い広刃剣を全力で打ちつけられたら、革鎧越しに肉は轢断されるだろうが。
鎧の進化により両手持ちの鈍器が主流になると盾は廃れた。ゆえに銃の発展により軽量化が進むと剣より刀が返り咲いた。
となると鎖帷子を衣服の下に着込めばかなり有利だ。これだから、鎖帷子を貫ける細い刺突剣も銃士は愛用する。もっとも刺突剣は重い武器には脆い。これらの三すくみのような性質を騎士は真剣に論議していた。
しかしこれらの一点一点の作戦を戦術に応用し、さらに戦略水準の見地まで引き上げるだけの将帥足る人材は欠けていた。
伝説に聞く光の文明時の素材技術なら軽くて頑丈な防刃・防弾服が作れたという。そう、鎧ではなく単に衣服に。ならば刀剣を用いる剣技はどこまで通用するか……といってもいまは作れない銃なら一撃だ。
単に威力なら拳銃で十分だがその狙える射程はせいぜい五十歩、余裕で千歩先狙える小銃には勝てない。拳銃は至近距離での早撃ちのみ軽快さで威力を発揮する。拳銃で長距離狙撃なんて馬鹿げている。
よく戯曲の主人公は天才的な拳銃の腕を見せるが、しょせん作り話。小銃ならその程度の精密狙撃、たいていの訓練積んだ兵士ならできる。だから危険な至近距離に身を晒す理由はない。
この王国の歴史は長いとも短いともいえる。百年未満とも、四百年続いたとか諸説あるが。半ば伝説的な初代の建国の王の魅力はかれが必ずしも常勝の戦士ではなかったけれど、常に勇敢な戦士だったことにある。
知勇兼備とはいうが、ろくに教育を受けるまもなく若くして徴兵された学のない兵士は、まず勇敢な指揮官の下に集うもの……その方がはるかに士気は高い。
反面知将は作戦指揮能力が高く、模擬戦では無敗でも。実戦となると一流の戦士としての魅力のない司令官に兵はついてこない。ようするに知将とは知勇兼備でなければなれず、むしろ作戦参謀向きということだ。
しかし長らく続く王国支配の下、どうしても救い難い退廃が影を射していた。無為の中で人は堕落し腐敗する。生活にゆとりのあるものは酒、肉、性、他人の血と死の刺激といった、快楽のみを求めるようになる。
上流階級すら教育水準は低下の一途をたどり、医師となれるような逸材も少なく。代わりに建前だけ壮大な景気のいい売り込み文句唱える卑劣ないかさま師が跋扈した。それにすら騙される無学な金持ちは多々いた。
讒言が役人にまかり通り、王に内政面でも外交面でも、治安面や国防面でも正確な情報は伝わらず、暗愚な支配体制下にあった。
治安を守るべき警備兵は罪のない民を密告して、報奨金を掠めていた。いわゆる魔女狩りのようなものだ。
一般民衆の苦しい生活など無視され、税率は引き上げられる一方だった。生活苦から盗みや略奪に手を染めるものは多かった。
そう、真っ先に犯罪者となるのは、社会的弱者が常なのだ。この事実を無視して「盗賊に生きる権利は無い」、などと吐くのはよほど甘やかされて育った裕福な家庭の、お坊ちゃんお譲ちゃんだ。
この欺瞞の王国が滅びるのは自然の理屈なのだろうか。中には真に国と民を憂いる、気骨あるものもいるのに、有事に真っ先に犠牲となるのもそうしたものたちなのだ。そしてそんなものたちに、妖精は微笑みかける。
ここは東の最果ての国。未来へただひた向きに進み続ける妖精たちの物語は続く。
妖精背を向けて 前
『守られた』というのには理由がある。この島は地震頻発し、数十年に一度は大震災が起こり、おまけにそれが引き金となり(この事実は往々にして忘れられているが)津波が海岸沿いを襲うのだ。岬は堤防となってくれる。
故に古くからこの島の建築技術は発達した。地震で壊れない頑丈な設計だし、浸水しても耐えられる作り。石造りの城や邸宅どころか、農奴の住む質素な草木の庵すらしっかりしたものだ。
これはいまや国交が稀にしかない海外の大陸の列強、帝国にはない技術で、小国ながら王国は堅牢な守りを誇る。
しかし異国どころか国内ですら紛争絶えないのが現実だ。ゆえに痛ましい歴史は都合良く忘れ去られているのだが……
王国内部はさらに細かく五十ほどの州に分割統治され、おおむねどこもその都市部に人は集まり、郊外、つまり農村漁村の田舎は過疎化している。
やはり人気があるのが首都、つまり王都だ。王国の人口の、一割以上が集う。これに関しては比類ない数値だろう。農奴階級に比べたら、町民は決定的に少ないのだから。
そんな王都はぜいたくに意匠をこらした石に煉瓦造りの中央の王城を始めとする煌びやかな高い楼閣から美しく連なる。放射状に伸びる大通りの、華やかな表町商店街、金持ちの住む高級住宅街で賑わう。
しかし裏街道に入れば陋巷もいいところ、治安も悪ければ貧民があふれている。改革が求められ、そして改革はやってきた……それが前述の解放戦争だった。
そんな社会体制下の庶民の生活水準はまるでかつかつだ。土地に縛られ土地とともに売買される自由と権利ない農奴――人口の圧倒的多数――など一日銅貨一枚ていどの生活しか送れない。肉料理など夢のまた夢で、彼らはふだん、自ら栽培する麦や米すら食べられず雑草のような雑穀のおかゆをすすっている。
農奴にとっては植物を煎じたお茶すら金持ちの飲み物だ。もっとも穀物を発酵させたドブロク(にごり酒)は多々として農奴を取り仕切る豪農地主階層の農民に密造され、街に出回り利権争いの流血沙汰起こるが。
少しはまし、とされる人口一割程度の工員や商人、あるいは役人階層の町民にしても厳しいものだ。真面目に働いていてもお金を得るのは難しく、たいていの市民は銅貨一枚程度で買える相場の、一斤のパンの値段を気にしながら暮らしている。
それでも市民はふだん倹約し貯蓄し、年に数回のお祭りには一気に浪費したりもする。こんなとき大通りは活気に満ちあふれ、商店は路上に屋台を開き大きな経済効果をもたらしている。喧嘩も祭りの華として頻発するので、警備兵たちもおおわらわだ。
王国の経済水準はどうかというと。農奴階級は実質稼ぎの半分は税金に取られる。すると一日銅貨一枚として一年で三百六十五枚、これは金貨に直すと一枚半となる。農奴は全土に四百万人はいるから年間で金貨六百万枚が王国の収益となる単純計算だ。
街の民の経済水準はもっと上だから、単に金額的にはもっと多くのお金が王国に流通する。しかしそのすべてが有効に消費されていることはない……もし理想的ならば、なぜ飢える人が出る理屈か!
これが実態の把握を普通の人は決して公式には教えてもらえない経済というものだ。『経済』。この馴染みのない単語はたいていのひとが魔物みたいに思っている。
ともあれ首都の心臓部といえる王城は戦乱時長期間立てこもれるように、格納庫は幾所もあり食料、燃料、医療器具に武装などの物資が保管されているし、武具や金物を修理できる工房すら整備されてある。
反面城の中には礼拝堂はなかった。質実剛健、機能一点張りの設計だ。指揮官の意図か、職人の技かな、と王国の兵士や役人とかは思案していたが。これに関してははるか過去の書に、『政教分離』とあることをいまは誰も知らない。
それともいざというときの戦禍を避ける目的か、大ホールのある教会は王城の外に隣接して、税に贅を費やし大きく構えてある。若い下位の神官は武装し、神官戦士隊として平民を律する。職権の重なる王国警備兵との摩擦軋轢もあるが。
王城は会議室が作戦会議用の他にもいくつも大小の部屋がある。そこは書庫も兼ね、各種の本が並ぶ。自由貸し出しで城内の誰しも戦略戦術論に歴史や数学、科学知識を学べる。
とはいえなまじ上流家庭に文盲は多い。そうしたものは書記官を頼る。
王城の櫓には矢を射る狭間といまや監視にしか役立たない銃眼(古代の小銃を鋳造する技術は衰退し、王都すらほとんど銃はない)が胸壁に並ぶ。そうそうたる構えだ。
ここを簡単に放棄するなんて、凡庸な指揮官にはできないことだ。こんな王都を解放軍は陥落せしめたのだ。
なぜって解放軍は自動小銃を使っていた……虚ろな歴史によると時代が進化し、火器の発展により守るより破壊するほうが、はるかにたやすい技術になると築城術など陳腐となる。これを把握すれば優先すべきはなにより人命だ。
塹壕を掘って土嚢を積み上げ前線とする泥臭い戦術が皮肉にも近代戦だ……と、歴史にはあるがこれも忘れ去られている。
歴史的には冶金技術の進歩で甲冑が作られたが。皮肉にも小銃が同時期に台頭したから、騎士は無敵とはなれなかった。騎士の甲冑といえば一財産だが。
過去騎士に流通していた鎖帷子(総板金の甲冑が出るのは考証間違いである)には並みの刀の刃は通用しないものの、突く槍は貫通するし、重い剣なら打撲を与える。
分厚い皮革鎧は単なる長剣で切りつけてもなかなか切れなかったが、反った片刃刀なら一刀両断に斬り裂くことができた。まあ重い広刃剣を全力で打ちつけられたら、革鎧越しに肉は轢断されるだろうが。
鎧の進化により両手持ちの鈍器が主流になると盾は廃れた。ゆえに銃の発展により軽量化が進むと剣より刀が返り咲いた。
となると鎖帷子を衣服の下に着込めばかなり有利だ。これだから、鎖帷子を貫ける細い刺突剣も銃士は愛用する。もっとも刺突剣は重い武器には脆い。これらの三すくみのような性質を騎士は真剣に論議していた。
しかしこれらの一点一点の作戦を戦術に応用し、さらに戦略水準の見地まで引き上げるだけの将帥足る人材は欠けていた。
伝説に聞く光の文明時の素材技術なら軽くて頑丈な防刃・防弾服が作れたという。そう、鎧ではなく単に衣服に。ならば刀剣を用いる剣技はどこまで通用するか……といってもいまは作れない銃なら一撃だ。
単に威力なら拳銃で十分だがその狙える射程はせいぜい五十歩、余裕で千歩先狙える小銃には勝てない。拳銃は至近距離での早撃ちのみ軽快さで威力を発揮する。拳銃で長距離狙撃なんて馬鹿げている。
よく戯曲の主人公は天才的な拳銃の腕を見せるが、しょせん作り話。小銃ならその程度の精密狙撃、たいていの訓練積んだ兵士ならできる。だから危険な至近距離に身を晒す理由はない。
この王国の歴史は長いとも短いともいえる。百年未満とも、四百年続いたとか諸説あるが。半ば伝説的な初代の建国の王の魅力はかれが必ずしも常勝の戦士ではなかったけれど、常に勇敢な戦士だったことにある。
知勇兼備とはいうが、ろくに教育を受けるまもなく若くして徴兵された学のない兵士は、まず勇敢な指揮官の下に集うもの……その方がはるかに士気は高い。
反面知将は作戦指揮能力が高く、模擬戦では無敗でも。実戦となると一流の戦士としての魅力のない司令官に兵はついてこない。ようするに知将とは知勇兼備でなければなれず、むしろ作戦参謀向きということだ。
しかし長らく続く王国支配の下、どうしても救い難い退廃が影を射していた。無為の中で人は堕落し腐敗する。生活にゆとりのあるものは酒、肉、性、他人の血と死の刺激といった、快楽のみを求めるようになる。
上流階級すら教育水準は低下の一途をたどり、医師となれるような逸材も少なく。代わりに建前だけ壮大な景気のいい売り込み文句唱える卑劣ないかさま師が跋扈した。それにすら騙される無学な金持ちは多々いた。
讒言が役人にまかり通り、王に内政面でも外交面でも、治安面や国防面でも正確な情報は伝わらず、暗愚な支配体制下にあった。
治安を守るべき警備兵は罪のない民を密告して、報奨金を掠めていた。いわゆる魔女狩りのようなものだ。
一般民衆の苦しい生活など無視され、税率は引き上げられる一方だった。生活苦から盗みや略奪に手を染めるものは多かった。
そう、真っ先に犯罪者となるのは、社会的弱者が常なのだ。この事実を無視して「盗賊に生きる権利は無い」、などと吐くのはよほど甘やかされて育った裕福な家庭の、お坊ちゃんお譲ちゃんだ。
この欺瞞の王国が滅びるのは自然の理屈なのだろうか。中には真に国と民を憂いる、気骨あるものもいるのに、有事に真っ先に犠牲となるのもそうしたものたちなのだ。そしてそんなものたちに、妖精は微笑みかける。
ここは東の最果ての国。未来へただひた向きに進み続ける妖精たちの物語は続く。
妖精背を向けて 前